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【建物萌の世界】第21回 二・二六事件の建物を巡る

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【建物萌の世界】第21回 二・二六事件の建物を巡るこんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」でございます。2月も末になると、つい二・二六事件を思い出します。1936(昭和11)年2月26日に発生したクーデター未遂事件ですね。今回は、この二・二六事件に関連する建物をいくつか回ってみようと思います。

【関連:第20回 稲荷町で昭和建築探し】

 

2月26日未明に陸軍の皇道派青年士官の有志が決起した二・二六事件ですが、決起部隊の中心は近衛師団の歩兵第3連隊、そして第1師団の歩兵第1連隊と歩兵第3連隊でした。

近衛師団は「天皇および宮城(皇居)護衛」を任としているので、近衛師団司令部と歩兵第1連隊、歩兵第2連隊は現在の北の丸公園に設置されました。歩兵第1・第2連隊の記念碑が、現在日本武道館周辺に建立されています。そして1910(明治43)年に田村鎮の設計で建てられた近衛師団司令部庁舎は、同じく北の丸公園の一隅にレンガ造りの姿が。戦後皇宮警察の寮として利用されていましたが、1964(昭和39)年開催の東京オリンピックに関連した都市整備事業の一環で北の丸公園が整備される際、他の近衛師団の建物とともに取り壊されそうになりました。近衛師団の戦友会や日本建築学会など、様々な人による保存運動が展開され、文化財保護委員会からも重要文化財指定の意見書が提出されたこともあって保存が決定し、1972(昭和47)年に重要文化財指定を受けました。その後1974(昭和49)年から保存改修工事が行われて、1977(昭和52)年11月から国立近代美術館工芸館として利用されています。

近衛師団本部全景
(写真:近衛師団本部全景)

レンガの外壁を補強するバットレス(控壁)がデザイン上の特徴で、まるで付け柱のようにも見えます。軍隊の建物なのですが、どことなくイギリスの大学にありそうな感じのデザインですね。テレビアニメ『たまこまーけっと』に出てくるうさぎ山高校校舎のモデルも、同時期の1908(明治41)年に建てられた陸軍第16師団の司令部庁舎(現:聖母女学院本館)だったりするので、案外この時期の司令部庁舎は学校とデザインの親和性は高いのかもしれません。

文化財指定されているのは建物外壁と中央部の玄関、そして階段室部分のみで、残りは美術館にする際に大改造が行われ、往時の面影は残していません。内部は補強の為にコンクリートの建物が入り込んでるような状態なので、現在の建物は「レンガの衣をまとった建物」という感じ。

大学の校舎のようなデザイン
(写真:大学の校舎のようなデザイン)
陸軍モチーフの通風口
(写真:陸軍モチーフの通風口)

明治時代からの建物ということもあって、様々な歴史の舞台でもあります。『坂の上の雲』で知られる秋山好古は日露戦争後に近衛師団長を務めているので、この建物で執務していましたし、『日本のいちばん長い日』で知られる1945年8月15日未明の玉音盤奪取未遂事件である宮城事件では、ここで叛乱将校によって当時の森近衛師団長が殺害されています。また、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)の主であった朝香宮鳩彦王も二・二六事件の前年まで近衛師団長を務めていました。

決起部隊である近衛師団歩兵第3連隊は、北の丸公園ではなく赤坂、現在のTBSが建っている場所にありました。第1師団歩兵第1連隊があったのは現在の東京ミッドタウンがある場所。どちらも当時の兵舎は残っていません。唯一、第1師団歩兵第3連隊兵舎の一部だけが現存しています。戦後進駐軍に接収されて「ハーディー・バラックス」と呼ばれる施設になり、その後兵舎部分は返還(一部は現在も米軍赤坂プレスセンターとして使用)されて、千葉から移転してきた東大生産技術研究所が使用していました。2000(平成12)年にこの敷地に国立新美術館を作る計画によって取り壊され、建物にかからないごく一部だけが、まるで切り分けられたシフォンケーキのような状態で保存されています。……しかしまぁ、この状態は「保存」と言えるのか、非常に論議を呼んだ手法でした。さらにきれいにされすぎて、逆に嘘っぽく見える感じになっています。

歩兵第3連隊兵舎
(写真:歩兵第3連隊兵舎)
麻布三連隊兵舎保存状況
(写真:ごく一部しか保存されていない)

国立新美術館には当時の再現模型が展示されています。官庁建築では基本的な「日」の字型レイアウトで、1928(昭和3)年の完成当時は「東洋一の近代兵舎」とうたわれた建物でした。

麻布三連隊兵舎再現模型
(写真:歩兵第3連隊兵舎再現模型)

跡地に黒川紀章設計により2007(平成19)年開館した国立新美術館の建物も、波打ったガラスのカーテンウォールが印象的な、絵になる建物ですね。

国立新美術館 国立新美術館

北の丸公園とお堀を挟んだ対岸には、戒厳司令部が設置された九段会館(旧:軍人会館)が姿をとどめています。同潤会アパート銀座の奥野ビルなどで知られる河元良一の設計、伊東忠太が技術顧問で参加して1933(昭和8)年に完成した建物は、東洋趣味の西洋建築に瓦屋根を載せた、いわゆる「帝冠様式」の典型例としても知られています。予備役軍人の修養・訓練の場として使われましたが、満州国の皇弟である愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の結婚式も行われました。戦後進駐軍に接収されて宿泊施設等に用いられ、返還後は国有化されて日本遺族会に貸し出されています。

九段会館全景
(写真:当時戒厳司令部が置かれた九段会)
九段会館玄関
(写真:九段会館玄関)

外壁はスクラッチタイル張り。屋根瓦は角張った特殊なデザインで、しゃちほこも幾何学的なデザインになっています。壁面には往年の特撮作品『変身忍者 嵐』のような装飾も。これは魔除けを意味するもののようで、この辺りはいかにも伊東忠太的な部分ですね。中にある大ホールはコンサートやイベントに利用され、爆風スランプの曲に登場したり『究極超人あ~る』がアニメ化された際のイベント会場にもなりました。

直線基調の屋根瓦と特徴的な装飾
(写真:直線基調の屋根瓦と特徴的な装飾)

2011年の東日本大震災で大ホールの天井が崩落し、ちょうど行われていた専門学校の卒業式に参加していた方が死傷したことをきっかけに、現在は閉鎖されています。日本遺族会も国に返還することにしたのですが、修復保存、取り壊しを含め建物をどうするのか、いまだ決着していません。

さて、決起部隊はいくつかに分かれて首相官邸などを次々襲撃します。当時の首相官邸は現存しているものの、敷地内を曳き家で移動して、首相公邸となっている為に内部を見ることはできません。

首相公邸全景
(写真:首相公邸)
首相公邸アップ
(写真:屋上にはミミズクの装飾がある)

大蔵省営繕管財局の技官、下元連の設計で1929(昭和4)年に完成し、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライト風のデザインが特徴です。屋上の国旗掲揚台の四方には、知恵の象徴であるミミズクの装飾が。

これら襲撃対象となった人物のいた建物というのは、現存していなかったり内部を見ることができなかったりするものばかりですが、唯一大蔵大臣だった高橋是清邸が、東京都小平市にある「江戸東京たてもの園」に移築保存されています。元々は近衛歩兵第3連隊の目と鼻の先、赤坂表町(現在の赤坂7丁目)にありました。跡地は事件後東京市(当時)に寄贈され、高橋是清翁記念公園になっています。

是清翁記念公園
(写真:赤坂の高橋是清邸跡)

邸宅の母屋部分は、規模を縮小した上で墓所のある多磨霊園に移築され、休憩所などに利用されていましたが、1993(平成5)年に現在地に移築されました。ずっと借家住まいだった高橋是清が1902(明治35)年に初めて建てた家で、ツガ材を使用した「総栂普請」が特徴です。仏間を除く全ての畳敷きの部屋に床の間があり、それぞれ違った趣向が凝らされているのが見所。食堂だけは寄木の板張り床を使った洋間で、是清のアメリカ生活経験が反映されているようです。

是清邸全景
(写真:高橋是清邸)
庭からの全景
(写真:庭から。白壁は洋間の食堂)

当時は板ガラスが国産化されていなかったので、円筒形に吹いた硝子を切り開くといった製法などが使われていました。そのお陰で微妙にゆがんだ窓ガラスがいい雰囲気を醸し出しています。

明治の窓ガラス
(写真:ゆがんだ窓ガラスがいい雰囲気)

この建物も2011年の東日本大震災で被害を受け、倒壊は免れたものの建物にゆがみが出て壁にヒビが入りました。当時いたボランティアの方によると、1973(昭和48)年の映画『日本沈没』のように建物から土煙が出てきて、見学者を避難させながら、建物が倒壊するんじゃないかと思ったそうです。事前に実施されていた耐震工事が功を奏し、倒壊は免れました。

近衛歩兵第3連隊を中心にした襲撃部隊は、捕らえた書生から居場所を聞き出し、母屋奥の階段から2階の寝室(十畳)へと踏み込みます。高橋是清は隣の大広間(十五畳)で寝ていた女中を動揺させないよう、落ちついた口調で反対側の階段から逃がし、踏み込んでくる兵士達を待ち受けたといいます。

是清邸1階廊下
(写真: 襲撃部隊は右に見える階段を登った)
殺された2階寝室
(写真:殺された2階寝室(画面手前側))

江戸東京たてもの園では毎年命日の2月26日に、殺害された2階寝室の床の間に花を供えています。

命日には花が供えられる
(写真:命日には花が供えられる。壁のヒビは震災被害)

事件は29日に鎮圧され、指導的役割を果たしたメンバーは自決した者を除いて逮捕されました。特設軍法会議により死刑とされた者は7月12日と翌1937(昭和12)年8月12日に、渋谷にあった陸軍刑務所で死刑が執行され、事件はほぼ終わります。

慰霊碑
(写真:渋谷にある二・二六事件慰霊碑)

1965(昭和40)年、かつての陸軍刑務所敷地の一隅(渋谷税務署脇)に、二・二六事件で犠牲となった全ての人を慰霊する碑が建立されました。設計者は九段会館と同じ川元良一。目立たない場所なのですが、今でも花の絶えることがありません。

二・二六事件にまつわる建物ですが、再開発などでだいぶ無くなってしまいました。これからは、将来が不透明な九段会館を除いては、おそらく保存され続けると思いますので、見て回ってみてはいかがでしょうか。

(文・写真:咲村珠樹)


【宙にあこがれて】第31回 航空機の「速度」いろいろ

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【宙にあこがれて】第31回 航空機の「速度」いろいろこんにちは、咲村珠樹です。今回の「宙にあこがれて」は、航空機の速度について。一般に「速度」というと我々はひとつしか思い浮かばないんですが、航空の分野では日常的に様々な速度を使っているんですよ、というお話です。

【関連:第30回 猫もいる!? 飛行機を悩ます乱気流の話】
 
ちょっと小難しい相対性理論的なお話になりますが、速度というのは「移動する物体が『動かない』と仮定した基準の物体に対して、どれくらいの割合で移動しているのか」というものです。日常生活で、我々が前提条件なく「速度」と言った場合、目的地までの距離と所要時間から算出した「対地速度(Ground Speed=GS)」を使っています。目的地までどれくらいの時間で到着するのか、というのが重要なので、地面を基準にする訳ですね。我々は普段、地面を移動している訳ですから、地面以外を基準とすることはありません。

しかし航空機、特に空気(気流)の力(揚力)で飛んでいる飛行機にとっては、地面よりも周りの空気の速度が重要になります。一定以上の速度の空気が翼に当たっていないと揚力が足りず、空を飛ぶことはできません。……ということで、航空の分野では周りの空気を基準にした「対気速度(Air Speed=AS)」を重要視しているのです。

さて、その対気速度の測り方です。車などで使われる対地速度の場合は、車軸の回転数で移動距離が判りますから、その回転速度で測ることができます。航空機の対気速度の場合は「ピトー管」と呼ばれる測定装置を用います。ピトーというのは発明者であるフランスの流体工学者、アンリ・ピトーにちなんだもの。テレビの「ブラウン管(ドイツのカール・ブラウンが発明)」みたいなものです。

ピトー管はストローのような部品で、前から入ってくる空気の圧力を測定します。これと側面(移動方向と違う面)に開けられた穴(静圧孔)で移動しなかった場合の空気の圧力を測定し、その圧力差で速度を算出する仕組み。これで「周りの空気に対して、どれくらいの速さで移動しているか」という対気速度が判る訳ですね。

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(写真:RF-4EJのピトー管と静圧孔)
F-4Sa
(写真:F-4Sは垂直尾翼に)

ピトー管は基本的に胴体の前面を向いて取り付けられます。機首の先端が望ましいのですが、最近の飛行機は機首の側面に付けられることが多くなっています。また、プロペラ機の場合、機首にプロペラがあるとプロペラで発生した風(プロペラ後流=推力)を測ってしまうことになるので、その影響がない主翼の先の方についていたりします。

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(写真:EA-18Gのピトー管(下)と静圧孔(上))
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(写真:零戦のピトー管)

旅客機など大型機は、誤差をなくす為と壊れて表示の異常が発生した際のバックアップとして、複数のピトー管を装備しています。

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(写真:旅客機などは複数のピトー管を持つ(矢印))

自衛隊や米軍などで使われているH-60シリーズのヘリコプターは機首の両側にピトー管がついているのですが、側面に穴の開いた静圧管との二重構造になっている為に、公開行事で目にした子供などから
「これ機関銃?」
とよく質問されるとか。ピトー管の説明は小さな子供にとって難しいので、案内役の人は誤解されてるのを承知で
「そーだよー」
と言ってしまうこともあるとか。

SH-60Ka
(写真:SH-60Kのピトー管(カバー付))
SH-60F
(写真:SH-60Fのピトー管)

ピトー管はデリケートな計測装置なので、中に異物が入らないよう、地上にいる時にはカバーをかけておくのが一般的です。カバーは外し忘れのないよう、赤かったり赤い大きなリボンがついています。また、超低温になる高空で氷結するのを防ぐ為、ヒーターが備えられています。映画『ハッピーフライト』で、ハワイへと飛び立った全日空のB747-400が羽田空港に引き返すことになった最終的な原因は、このピトー管のヒーターが故障して氷結し、対気速度が得られなくなった(それ以前に鳥と衝突して別のピトー管が損傷している)からでしたね。ピトー管を近くで見ると、虹のようなグラデーションになっている時がありますが、これは塗装ではなく、ヒーターによる熱変色です。それだけ高温にあるので、整備でヒーターを作動させている時は、素手で触るとヤケドするので注意してください。

F-15Ja
(写真:F-15Jのピトー管(赤カバー付)と静圧孔)
AS332La
(写真:AS332Lのピトー管カバー)

正確に言うと、このピトー管で得られた数値は「指示対気速度(Indicated Air Speed=IAS)」といいます。一般的な飛行機の操縦には「翼にどれだけ風(気流)が当たっているか」が重要なので、これだけでも構わないのですが、この他にも航空機で使われる対気速度には「較正対気速度(Calicrated Air Speed=CAS)」「等価対気速度(Equivalent Air Speed=EAS)」「真対気速度(True Air Speed=TAS)」という、全部で4つの対気速度が使われています。基本的にはピトー管で計測した指示対気速度に対して、様々な条件(気圧や航空機の姿勢、計器の誤差など)での補正を加えることで算出する値で、較正対気速度(CAS)は離着陸時の速度規定に、等価対気速度(EAS)は航空機の強度設計に、真対気速度(TAS)は航法に主に用いられます。

航空機の対気速度は、船と同じノット(Knot=Kt。時速約1.85km)という単位を使っています。これもこの連載の第5回でご紹介した「船から来た航空用語」のひとつです。航空気象での風の単位も、同様にノットを使っています。

YS-11T-A
(写真:YS-11T-A戦術航空士席の大気速度計(右2つ))

これに合わせて高速で飛行するジェット機の場合、音速との比を表す「マッハ(マック)数(Mach Number)」も用いられます。音速に達すると気流の状態が複雑に変化し、操縦特性も合わせて変化する為に、音速との比率も把握しておく必要があるのです。これは機内誌などで、飛行機の速度として「M0.8」などと表示されていますね。旅客機の場合、だいたいM0.75~M0.88くらいの速度で飛ぶようになっています。

これに加えて、航空機がどれくらいで目的地に到着するのか、という情報も必要なので、対地速度(Ground Speed)も使われます。これは旅客機の場合、慣性航法装置やGPSなどを使って算出しています。

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(写真: B737-800の客席モニタに表示される対地速度(丸囲み))

このように、航空機では複数の「速度」を使っています。パイロットは飛行に必要な、指示対気速度と真対気速度、マッハ数を使い、飛行機を利用する乗客は目的地への到着時間を知りたいので対地速度を使っているという訳ですね。

基準となっているものが違う為に、対気速度と対地速度は全く違うものです。同じ対気速度で飛行していても、飛行ルートで追い風を受けていると対地速度は速く、逆に向かい風だと遅くなります。旅客機の場合、この差は飛行時間(到着時間)に影響を及ぼします。

日本の空で特徴的なのが「ジェット気流」。ジェット旅客機の巡航高度に存在する強い偏西風です。ざっくり説明すると、西に向かう際は向かい風、東に向かう際は追い風を受けるということになるので、西に向かう際と東に向かう際とで所要時間に差が生まれます。これは冬に強くなり、夏は弱くなるという季節的な変動を伴うので、冬の場合には大きな差が生まれるのです。

例として東京(羽田)~福岡線の場合、冬は福岡行きで115分~120分かかっているのに対し、東京行きは95分と20分~25分の差が生まれています。これがジェット気流の影響が少ない春~秋だと福岡行きが105分~110分、東京行きが100分と5~10分の差にとどまります。冬は所要時間の差が倍以上になるんですね。気付いていましたか?

ANA2013年02月~03月-5
(写真:冬ダイヤの例)
ANA2013年03月~05月-5
(写真:春~夏ダイヤの例)

様々な「速度」を使って航空機は運航されています。結構ややこしいのですが、世の中絶対的な基準はなく全て相対的なものと考えると、ものの見方が変わって結構面白いですよ。

(文・写真:咲村珠樹)

【動画付】大洗に戦車がやってきた!「海楽フェスタ」ガールズ&パンツァーリポート!

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サムネイル3月24日、アニメ『ガールズ&パンツァー』の舞台となっている、茨城県東茨城郡大洗町で開催された観光イベント「海楽(かいらく)フェスタ」で、またまたガールズ&パンツァーのイベントがありましたよ! ふたたびオッドボール三等軍曹……じゃなくて記者が現地で情報収集してきましたっ。さっそくリポートです!

【関連:<動画付>『ガールズ&パンツァーin大洗』現地リポート!】
 
前夜、最終回である第12話の最速上映を含むシリーズ全話オールナイト上映会が隣町の水戸市で開かれた関係で、ファンの数はかなりのもの。鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線の列車は普段のラッシュでもないほど超満員です。この他に水戸駅から直接向かうバス路線(会場手前で西住みほ役・渕上舞さんのスペシャルアナウンスもあり)もあるので、これでも分散してるんですよ。23・24の両日は、都合によりラッピングトレインは運用から外れてました。ちょっと残念。

(写真:満員の鹿島臨海鉄道)

(写真:満員の鹿島臨海鉄道)

大洗駅には『ガールズ&パンツァー』のギャラリーが。設定資料や全国のファンから持ち寄られた模型などが並んでるんですが、鹿島臨海鉄道の運転士さんによる作品も。ギャラリー内に設置されたノートには、前日のオールナイト上映からそのままやってきたファンのメッセージもチラホラ。

(写真:鹿島臨海鉄道運転士の作品)

(写真:鹿島臨海鉄道運転士の作品)

(写真:K5列車砲モニタ)

(写真:K5列車砲モニタ)

(写真:大洗駅の交流ノート)

(写真:大洗駅の交流ノート)

駅からは茨城交通のシャトルバスが運行。もちろん、ラッピングバスも投入されてましたよ。そして目立たないながらも、タクシーまでガルパン仕様になってるんです。車内にキャラうちわやぬいぐるみを装備した車も。ちなみに女性の運転手さんでした。

(写真:ガルパン仕様のシャトルバス)

(写真:ガルパン仕様のシャトルバス)

(写真:タクシーもガルパン仕様!)

(写真:タクシーもガルパン仕様!)

海楽フェスタは、昨年から始まった新しい観光イベント。津波で破壊された港湾施設も、残された大洗マリーナの復旧工事が終わりに近づき、間もなく完全復旧を迎えるところ。会場はそのマリーナにほど近い大洗マリンタワー前広場です。

昨年11月の「大洗あんこう祭り」同様、今回も『ガールズ&パンツァー』のコラボイベントが。前回自衛隊側が「もっと早く内容を知っていれば戦車を持ってきたのに」という発言を(非公式に)してましたが、今回は大洗町長が英断! 自衛隊(茨城地方協力本部)に要請し、陸上自衛隊土浦駐屯地(アニメ開始前に監督らスタッフが取材に訪れた場所)から74式戦車が展示の為にやってきました! 要請したのは2ヶ月ほど前だったとか。

(写真:展示された74式戦車)

(写真:展示された74式戦車)

できれば、劇中に登場する八九式中戦車とか三式中戦車だと良かったかもですが、八九式は現在履帯を傷めていて、三式は静態保存で移動ができないので残念ながら実現できず。10式も1両しかないので無理だし、90式は移動させる際の手続きが煩雑で、一番動かしやすい74式になったそうで。でも74式はある意味、とても日本らしい戦車と言える車両なので、かえってよかったかも。

ガルパンファンだけでなく、一般のお客さんにも戦車は大人気。周りには人だかりが。柵などもなく、自由に触れたり、子供はフェンダーに乗って記念写真が撮れたりとサービス満点。

(写真:74式大人気)

(写真:74式大人気)

おかげで、持参したフィギュア(ドルフィー)を載せて記念撮影するファンや、侵略されたりする場面も。

(写真:桃ちゃんドルフィー)

(写真:桃ちゃんドルフィー)

(写真:ガルパンも侵略したでゲソ!)

(写真:ガルパンも侵略したでゲソ!)

そして自衛隊は本気です。操法展示として、74式戦車ご自慢の油気圧式サスペンションを駆使した高度な姿勢制御をデモしてくれました!

▼動画:74式戦車の操法展示。姿勢制御デモ
http://www.nicovideo.jp/watch/1364194179

自在に姿勢をコントロールする姿に、どよめきが上がってましたよ。

自衛隊はステージでも、集まった観客からの「74式戦車に関する質問」に色々答えてくれました。……「ライフル砲と滑腔砲の命中精度について」だとか「シュノーケル(潜水渡河用吸排気筒)の標準取り付け時間は?」とか、だーいぶマニアックな質問も飛びかってましたが……。

(写真:自衛隊のステージ)

(写真:自衛隊のステージ)

更にサプライズとして、意外な人からのメッセージビデオが。『ガールズ&パンツァー』の構成要素、「ミリタリー」と「アニメ」といえば……。

(写真:石破幹事長からのメッセージ!)

(写真:石破幹事長からのメッセージ!)

自民党の石破幹事長! 『ガールズ&パンツァー』のみならず、子供の頃に読んだ井上靖の随筆「大洗の月」の思い出もまじえながら、大洗へのメッセージを寄せていました。

ステージでは『ガールズ&パンツァー』のトークショーも行われました。登場したのは渕上舞さん(西住みほ役)、中上育実さん(秋山優花里役)、中村桜さん(佐々木あけび役)のキャストに「あんこう音頭」の佐咲紗花さん。中村さん、前回のあんこう祭りの際にはプライベートで来場し、あんこう鍋を食べたり物販ブースに並んでたりしたとか。会場に登場した74式戦車を見ての感想は、

中村さん「車の中から見たんですけど、ホンモノはいいですねぇ(ウットリ)。74式はサスペンションが……(と、姿勢を変化させて斜面や窪地に身を隠して攻撃する「稜線射撃」の話をして)カッコいいと思います」

渕上さん「(総火演(総合火力演習)を見に行って)動いてるところも見ましたし、ドーンってなってる(射撃してる)ところも見てるんですけど、実物も見てるし、これだけ戦車に関わってきたものの、なんかまだ実感がない感覚もあって……特に今日は遠目からだったから、作り物みたいに見えて『ああ、これ動くんだよな』って(笑)すごい不思議な感覚に襲われました」

中上さん「私も総火演一緒に行かせてもらってて、動いてるのは見たことあって。その後に優花里役をやるということで、調べておこうと思って埼玉の(朝霞駐屯地内にある広報施設「りっくんランド」)に行って、10(式)も近くで見たんですよ。……でも今日はちょっと遠かったんで、ちゃんと一眼レフを撮る気満々で持ってきたんで、とりあえず頑張って望遠にしてバスの中から撮りました(笑)。でも……いいなぁ、皆さん近くで見られるんですよね? えっ、触れるの? いいなぁ~! さっき「乗ったよ」っていうお子さんがいて、いいな~、私も乗りたい!と思いました」

佐咲さん「こんな機会ないじゃないですか。お祭りに戦車が現れるって、どういうことだと(笑)。やっぱりこれも、町を挙げての盛り上がりがすごかったからこそ、応援してくれる方が増えていったんじゃないかと思います」

皆さん大洗の人々の熱意に感動してるようでしたよ。また、ここで初出の情報が3つ。

●5月にドラマCDが発売予定(詳細未定)。

●サンクスでキャンペーンが決定(詳細未定)。既に23日から水戸市内のサンクスで、コラボ商品のカレーが先行して販売中。
ここで秋山殿(中上さん)にサンクスからプレゼント……サンクスの制服(実物)が贈呈されました。これに呼応して、会場内に出展していたサンクスでは、商品購入者に秋山優花里のスタッフ証をプレゼント。

(写真:秋山殿のスタッフ証)

(写真:秋山殿のスタッフ証)

最後は驚きの発表。先日まで、東京・池袋にあるトヨタ自動車のショールームAMLUXで『ガールズ&パンツァー』の痛車が展示されていましたが……
●展示されたものとは別の公式痛車(限定2台)販売決定。
ベースはヴィッツとプリウスの中古車で、新車ではない為に多少入手しやすい価格になるのではないか、とのこと。そして特別仕様として、西住みほの声によるナビが搭載されてます。「これから音声案内を開始します。Panzer vor!!」なんて言われるなんて胸熱じゃないですか。……でもさすがに「ここからは『パラリラ作戦』です!」とは言わないだろうなぁ(蛇行運転はイケマセン)。速度取り締まりを感知して「前方にレーダーを発見!『こそこそ作戦』を開始してください!」って言ってくれると便利そうだけど。

(写真:販売される公式痛車)

(写真:販売される公式痛車)

実車が公開されたんですが、この後3月30・31日に予定されているアニメコンテンツエキスポ(幕張メッセ)でも展示した後、販売方法は4月2日のニコニコ生放送で発表予定。

この「公式痛車販売」の発表はビックリ。ジオニック社との合弁だけでなく、トヨタはやる気ですよ。最後に佐咲さんがピンクのはっぴに身を包み、生で「あんこう音頭」を歌ってくれました!

トークショー後、ステージでは地元の県立大洗高校マーチングバンド部「ブルーホークス」が演奏を披露。冒頭で『ガールズ&パンツァー』のBGMから「栄光の戦車道全国大会始まります!(サントラCD1・トラック28)」と「乙女のたしなみ戦車道マーチ!(サントラCD1・トラック2)」とを演奏してくれました。

▼動画:大洗高校ブルーホークスによる『ガールズ&パンツァー』BGM演奏
http://www.nicovideo.jp/watch/1364195228

会場を回ってみると、大洗の様々な物産が売られてます。ステージ行われた「カジキの解体ショー」でさばかれたカジキが「カジキ焼き」として提供されてたり、トークショーに出演した皆さんも食べたという、干し芋のクレープなんかも。

(写真:カジキ焼き)

(写真:カジキ焼き)

(写真:干し芋クレープ)

(写真:干し芋クレープ)

大洗復興を後押しする「がんばっぺ大洗」グッズは、ステッカーとあんこうマークの缶バッジ。アニメでもコラボした、茨城のプロレス団体「ごじゃっぺプロレス」で活躍する大洗のご当地プロレスラー、オーアライダーも那珂市のご当地キャラ、ひまわり大使ナカマロちゃんと一緒にプロモーションしてました。オーアライダーがデビューしたのが、昨年の「海楽フェスタ」。1年経ってデビューの地に戻ってきたのです。

(写真:がんばっぺ大洗)

(写真:がんばっぺ大洗)

(写真:オーアライダー)

(写真:オーアライダー)

オーアライダーと記者との間に共通の知人がいて、地元ネタに花が咲いちゃいました。

会場に隣接する大洗リゾートアウトレット1階にある、地元の物産を販売する「大洗まいわい市場」はすごい人。餡香やきは大行列で、2階で開催されたグルパングッズ販売と、イラスト・コミックのコミュケーションサイト「TINAMI」主催で行われたイラストコンテスト「大洗女子学園 芸術コンクール」にも多くの人が。この他に大洗文化センターで「モデルグラフィックス」誌主催の「MG的模型戦車道選手権」の予選として、作品が展示されてましたよ。

(写真:混雑するまいわい市場)

(写真:混雑するまいわい市場)

(写真:イラストコンテスト)

(写真:イラストコンテスト)

大洗の町中では、既に開催中のスタンプラリーに加え、23・24日限定の「ガルパン街なか かくれんぼ」を実施。アニメ4話に登場する商店街の店舗などに、登場キャラのパネルが設置されてました。キャラは総勢51人。西住みほだけ2バージョンあるので、全部で52のパネルが設置されてます。どこにあるとは明らかにされてないので、皆町を隅々まで歩きながら楽しんでました。ガルパン仕様のレンタサイクルで回る人も。

(写真:商店街にガルパンパネル)

(写真:商店街にガルパンパネル)

(写真:レンタサイクルで回る人)

(写真:レンタサイクルで回る人)

(写真:西住みほ その1)

(写真:西住みほ その1)

(写真:西住みほ その2)

(写真:西住みほ その2)

キャラの配置はランダムに見えるけど、戦車モデラーの中村桜さん演じる佐々木あけびがホビーショップにあったり、機械類を取り扱うお店に自動車部のツチヤがいたりと、結構考えられてます。

(写真:中の人つながり)

(写真:中の人つながり)

(写真:ここでバイトしてそう!)

(写真:ここでバイトしてそう!)

そして感じられるのが、地元の方々の愛情。ダージリンのパネルにはティータイムのテーブルセッティングがついてたり、キャラの解説がついてたり。ガルパン関連の楽曲を流してるところもありました。

(写真:肴屋本店のダージリン)

(写真:肴屋本店のダージリン)

(写真:お店からのメッセージ)

(写真:お店からのメッセージ)

結構交通量の多い場所なので、町の職員や商工会、交通安全協会の皆さんが事故が起きないよう、安全確保に努めてくれます。お店の方も「あそこにもあるよ」と、判りにくい場所にあるキャラを親切に教えてくれたり。参加者との交流も生まれてました。いやぁ、大洗に愛されてるなぁ。

(写真:町の人が安全確保)

(写真:町の人が安全確保)

(写真:町の人との交流)

(写真:町の人との交流)

磯前神社には、大洗の発展とアニメ2期を願う絵馬がいっぱい。秋山優花里役の中上育実さんによる絵馬もあったけど、見つけられたかな?(ヒント:楕円形)

(写真:中上育実さんの絵馬が)

(写真:中上育実さんの絵馬が)

(写真:オンリーイベントの告知)

(写真:オンリーイベントの告知)

5月には大洗で同人誌即売会(オンリーイベント)も開催予定。最終回放送は近いけど、まだまだ大洗は熱い! 5月12日までの土日祝日限定で、茨城県内のJRと私鉄各線が乗り放題になるお得なきっぷ「ときわ路パス」もあるので、まだの人も常連の人も、大洗へPanzer vor!!

(取材:咲村珠樹)

【建物萌の世界】第22回 弘前・洋館だけじゃない津軽の建物

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入り口02こんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」でございます。記録的な大雪に見舞われた今年。雪に耐える建物……ということで、青森県は津軽地方の中心地、弘前へ足を運んでみましょう。個人的に大好きな町のひとつです。

【関連:第21回 二・二六事件の建物を巡る】
 

弘前というと、真っ先に思い浮かぶのは桜の名所である弘前城。そして明治の洋館(擬洋風建築)が観光スポットとして知られています。
例えば、津軽の名棟梁堀江佐吉が手がけた青森銀行記念館や、アメリカ人の教会建築家ジェームズ・M・ガーディナー設計による弘前昇天教会など。どちらも雪が似合う建物です。

外観02 昇天教会01

昇天教会はレンガ造りの建物でありながら、礼拝堂との仕切りが襖で、上がり座敷があるのが特徴。19世紀アメリカ製のリードオルガンの伴奏でキャロリングを行うクリスマスのミサは、非常にロマンチックです。牧師さんも気さくな方で、面白い趣味の持ち主。

もちろん、これらの建物も非常に魅力的なのですが、今回はあえて「津軽」を感じさせる建物をご紹介しようと思います。まずは弘前駅からイトーヨーカ堂(弘前バスターミナル)前を進んでいくと、弘前郵便局の手前に見えてくるのが小野金商店。現在は営業していませんが、縄やムシロなど、わら工芸品を取り扱う商店でした。1928(昭和3)年築で、赤い屋根を含めて津軽の典型的な商家建築といえます。

小野金商店

こちらは中心部の百石町にある百石町展示館。1883(明治16)年、角三(かくさん)呉服店として建てられた土蔵作りの店舗です。1917(大正6)年に津軽銀行(後に青森銀行に合併)が購入し、銀行の店舗(津軽銀行本店~青森銀行津軽支店)として1998(平成10)年まで使われていました。2001(平成13)年に弘前市に寄贈され、展示スペースなどに活用されています。

百石町展示館

内装は銀行時代の木製カウンターなどが残されて、外見と中身のギャップが面白い建物です。また、喫茶スペースが設けられており、ブルターニュ風そば粉のクレープ「ガレット」が食べられます。従業員の服装もカフェーの女給さんみたいな格好で、制服萌えの方にもにもお勧め。この向かいには、「水曜どうでしょう」の「対決列島」青森編で登場した丸ごとリンゴパイ「気になるリンゴ」を作ってるお店もありますよ。

さて、ここから羽州街道(旧国道7号線)に入り、昔からの繁華街である土手町を上っていきます。通り抜けた先にあるのが松森町。この辺りも昔は栄えていたのですが、今はちょっと落ち着いた町になっており、そのお陰で古い建物が多く残っています。

ここでまず目につくのが、よしや質店と黒沼質店。津軽の伝統的なアーケードである「こみせ」を備えた建物です。よしや質店は明治期の建築、黒沼質店は1918(大正7)年の建築。

よしや質店外観 黒沼質店

こみせというのは、1階部分の軒を大きく張り出し、積雪期でも人が通れる通路を確保する為に設けられたもので、新潟の「雁木(がんぎ)」などと同様のものです。ただ、こちらの方では地吹雪などがある為に、柱の間に「蔀(しとみ)戸」と呼ばれる取り外し式の板戸を取り付け、雪の吹き込みを防止するような構造になっています。

こみせ内部 入り口02

津軽の地吹雪は視界を奪うほどなので、このこみせの構造がないと通路が確保できなかったんですね。

吹雪

他にもコンビニの向かいには、今は営業していないようですが、煙突の形状から鍛冶屋さんであったろう建物なども。時の流れにより、繁華街から少々離れたことで、結果的に昔の建物が多く残ったのは喜ばしいことです。

鍛冶屋らしき家(鈴木鋸刃物店?)

さらに進んでいくと、こんな素敵な床屋さんがあります。昭和初期の建築で、看板建築的な店構え。内装もあまり変わっていないとか。

大和理髪館外観 大和理髪館入口

この向かいにあるパチンコ屋さんの2階には、懐かしい感じのレストランがあって、個人的にお気に入りです。

松森町の交差点に存在感ある姿を示しているのが、この高木静一商店。切り抜き文字の看板が印象的な、1929(昭和4)年生まれの建物は、肥料や農薬を取り扱うお店です。金網に木製の金文字を貼付けるこの種の看板は、大正から昭和初期にかけて良く見られたもの。電話番号も昔のままで、小野金商店同様、この時期の津軽に於ける商家建築の典型を見ることができます。

高木商店外観

このような平入(屋根の棟と平行の面が入口になる構造)の商家の場合、軒を深く出す為に梁や腕木を壁から突き出し、支える桁を外に出して支える「出桁造り」というものになっています。これは全国的に見られるものですが、津軽の場合、さらに桁が二重になっているのが特徴です。桁の間隔はほとんどないので、軒の深さは変わりません。

2階部アップ02 平尾松月堂2階部アップ

桁と支える腕木が上下に配されているので、雪の重みに耐える為の工夫でしょうか。他の暖かい地域では見られない構造です。

あまり観光客が歩かない場所を中心に、弘前の建物をご紹介してみました。弘前にはこれだけでなく、素敵な建物がまだまだあるので、これからも折りを見てご紹介できればと思います。

(文・写真:咲村珠樹)

【ミリタリーへの招待】戦車じゃありません。

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サムネイルミリタリー初心者に向けて、軽いミリタリー知識をご提供する「ミリタリーへの招待」。アニメ『ガールズ&パンツァー』をきっかけに、再び戦車に対する人気が高まっている昨今。

今回はそれに関して、初心者が見分けにくい「戦車のようで戦車じゃないもの」について、自衛隊の装備を使ってご紹介しましょう。

【関連:【動画付】大洗に戦車がやってきた!「海楽フェスタ」ガールズ&パンツァーリポート!】
 
現在、陸上自衛隊が装備している戦車は、採用順に74式戦車、90式戦車、10式戦車の3種類。最新鋭の10式戦車は、2012年の総合火力演習(総火演)に初参加し、その優れた性能を見せてくれました。

74式戦車
90式戦車 10式戦車

74式戦車は105mm、90式戦車と10式戦車は120mm砲を主砲としています。この他に7.62mm(74式車載機関銃)と12.7mm(重機関銃M2)の機関銃も装備。74式戦車は、10式戦車の調達に伴い、入れ代わりに数を減らしていくことになっています。

ところで、自衛隊の駐屯地公開行事などに行ってみると、同じようにキャタピラ(装軌)の車体に砲を載せた車両を目にすることがあります。一般の人は「これも戦車?」と思ってしまいますが、厳密には違う装備なのです。

代表的なものが「自走砲」と呼ばれるもの。陸上自衛隊では203mm自走りゅう弾砲、99式自走155mmりゅう弾砲などがあります。

203mm自走りゅう弾砲 99式自走155mmりゅう弾砲

見かけ上、同じように見えますが、これは元々別のものが進化していった結果、同じような形になったもの。名前にも表れている通り、戦車は「車両」、自走砲は「砲」からそれぞれ発達したものなのです。

それぞれの誕生と進化の過程を簡単にご紹介しましょう。

まずは戦車。第一次世界大戦で機関銃が一般化され、旧来の歩兵による突撃戦法が困難になりました。歩兵が進むには、機関銃などを排除し、突破する必要があります。

そこで、弾が当たっても大丈夫なように装甲を施し、悪路を走破する為にキャタピラを装備して、敵陣を突破する為の車両が作られました。これが戦車です。ちなみにドイツ語で戦車の通称として使われる「Panzer(パンツァー)」は「装甲(鎧)」という意味。

戦車が登場すると、それに対応して相手も戦車を作ってきます。こうして、徐々に戦車は歩兵の進撃を助けるものから「相手の戦車を撃破すること」に任務が変化し、主砲や装甲を強化する形で発達していったという訳です。

日本でいうと、最初の国産制式戦車であり、『ガールズ&パンツァー』でアヒルさんチーム(バレー部)が使用した八九式中戦車は、歩兵の進撃を助ける戦車。太平洋戦争末期に制式化され、同じく『ガールズ&パンツァー』でアリクイさんチームが使用した三式中戦車は、戦車と戦う為に作られた戦車ということになります。……ちなみに、三式中戦車の乗員は5名なので、アリクイさんチーム(3名)では人数が足りず、体力ないだろうにやたら忙しい形になってしまっています。

八九式中戦車乙型 三式中戦車

続いて、自走砲です。本来、砲(大砲)というのは、歩兵部隊の後方から火力支援(砲撃)する兵器で、馬なり牽引車なりに牽引されて移動するもの。移動して陣地に着いたら、牽引状態を解除して砲撃準備をして、撤収・移動する際にはまた牽引状態に移行して……という手順を踏むことになります。

203mmりゅう弾砲M2

ところが、戦車が開発され、歩兵などの進撃速度が上がると、移動に伴って色々準備に手間がかかる砲は、追随していくのが大変になります。また、牽引する車両がいなくなると移動することができません。

そこで、砲を直接車両に載せ、自力で移動・展開できるようにしたものが作られました。これが自走砲です。特に現代では、一度砲撃すると相手に場所を知られてしまう為、その場にとどまり続けると反撃されてしまいます。砲撃後、速やかに移動する為にも、自走砲の展開力は重要です。

戦車は敵陣を突破する為に最前線で戦う為、装甲も丈夫にできていますが、自走砲は後方から支援するものなので、戦車ほど丈夫な装甲は持っていません。また、主砲も戦車は相手を直接狙う為に、ほぼ水平に撃つのですが、自走砲は後方から撃つのでより射程距離が長く、水平だけでなく山なりに撃ったりもする為、砲身もより上に向けることができます。

戦車と自走砲の違いというのは、大まかに言うと以上のようなものです。また、陸上自衛隊では戦車は戦車兵である「機甲科」、自走砲は砲兵である「特科」が運用……と、完全にジャンルの違う装備として扱われているんですね。

陸上自衛隊には、戦車と自走砲の他にも、まだまだ「一見戦車みたいな車両」があります。

「ガンタンク」とあだ名される87式自走高射機関砲は、戦車にとって脅威となる空からの攻撃を排除する為に作られたもの。戦車と一緒に行動できるように、高射機関砲を自力で動けるようにした装備品で、これは高射特科が運用しています。回転式砲塔に装備した各種レーダーや射撃統制装置を用いて、2門の35mm対空機関砲をコントロールします。

87式自走高射機関砲

戦車とともに行動する普通科隊員(歩兵)を輸送しつつ、小規模な脅威を排除する目的で開発されたのが、89式装甲戦闘車。外国では「歩兵戦闘車」と呼ばれる種類の車両で、その名の通り歩兵であるところの「普通科」が運用する装備です。回転式砲塔に35mm機関砲、他に7.62mm機関銃と多目的ミサイルである79式対舟艇戦車誘導弾(重MAT)を装備。3名の運用員の他、7名の隊員を輸送できます。

89式装甲戦闘車

素人には区別しにくい「一見戦車みたいな車両」の種類と違いを、身近な陸上自衛隊の装備を使ってご紹介してみました。戦車・自走砲などの違いは結構あいまいになっている部分もありますが、運用する側が「これは戦車」「これは自走砲」として区別しているので、それを参考にしてください。これから自衛隊の広報イベントが本格化するので、お出かけになった際には違いを見比べてみてはいかがでしょう?

ただ、ご紹介した装備、74式戦車を除けばほとんどが北海道(一部は静岡県の富士駐屯地と茨城県の土浦駐屯地、千葉県の下志津駐屯地)にあるものなので、他地域では見ることが困難だったりしますが……。

(文・写真:咲村珠樹)

【宙にあこがれて】第32回 今年唯一の米軍航空イベント!? NAF厚木・日米親善春祭り

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VFA-115のパイロットがサムアップこんにちは、咲村珠樹です。ゴールデンウィーク最初の土曜となる4月27日、神奈川県にあるアメリカ海軍厚木航空施設(NAF厚木・通称:厚木基地)で「日米親善春祭り」が開催されました。今回はその様子をリポートします。

【関連:第31回 航空機の「速度」いろいろ】
 
アメリカ政府の歳出強制削減措置発動により、軍の予算も大幅に削減され、作戦に関係ないものは軒並みカット。特にイベント等の広報予算はほとんどが認められなくなりました。海軍のフライトデモンストレーションチーム、ブルーエンジェルスは訓練を含む全ての飛行が禁止に。空軍のサンダーバーズも飛行停止措置が採られ、今年の夏〜秋に予定されていた、日本を含むアジアパシフィックツアーが中止になりました。

もちろん、軍が協力する航空祭も軒並み中止に。日本でも5月5日に予定されていた海兵隊岩国基地のフレンドシップデイ(航空祭)は予算が認められずに中止、空軍の嘉手納基地、横田基地のフレンドシップデイも無期延期ということになり、実質的に開催されない状況です。特に岩国基地は、フランスからやってきた民間最大のアクロバットチーム「ブライトリング・ジェットチーム」の初来日公演(ショウ)が予定されていただけに残念な出来事でした。……岩国は中止となりましたが、ブライトリング・ジェットチームの飛行はこの他、5月6日に明石海峡大橋、5月11日に福島県(午前)と横浜港(午後)、5月12日に福島県いわき市小名浜港での飛行が予定されています。

厚木での春祭りも開催が危ぶまれましたが、無事予定通り開催の運びに。展示飛行のある航空祭ではありませんが、今年ではほぼ唯一の米軍航空イベント、そしてゴールデンウィークということもあって、多くの人(NAF厚木の公式発表で2万人以上の日本人)が来場しました。

NAF厚木では、セキュリティ上の理由から入場時に厳しいチェックが行われます。基本的に日本かアメリカの国籍を持っていないと入場することができません。国籍を確認する為に、パスポートや外国人登録証など、本籍(国籍)記載の写真付き身分証明証の提示が求められます。手荷物や身体の検査も厳重です。この為、入場に時間がかかり、担当部門の職員を総動員しても入場待ちの行列が数kmにおよび、時間内(11時~16時)に入場できなかった人も多くいました。自衛隊のイベントでも手荷物検査などがありますが、実戦状態にある軍事施設ですから、この厳しい措置は致し方ない面もあります。来場者が許容範囲を超えたんですね。

飛行場地区のフライトラインには、空母ジョージ・ワシントンで運用されるCVW-5(第5空母航空団)に所属する各飛行隊のCAG(飛行団司令)機や、海上自衛隊厚木航空基地に所属する第51航空隊・第61航空隊の機体が並びます。色とりどりのデザインが施されたCAG機は華やかの一言。

▼写真:フライトラインにCAG機が並ぶ http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29524

フライトラインにCAG機が並ぶ

しかしまず注目は海上自衛隊。新型哨戒機P-1の量産1号機(5503)が初の一般公開です。この機体、翌28日には海上自衛隊鹿屋航空基地に移動し、航空祭「エアーメモリアルinかのや」でも公開されました。

▼写真:P-1が一般初披露 http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29525

P-1が一般初披露

試作機XP-1との外見的差異や飛行特性の違いは殆どありませんが、コックピットにはヘッドアップディスプレイ(HUD)が装備され、更に使い勝手が向上しているとか。現在量産2号機(5504)まで受領していますが、間もなく3号機以降の2機(2008年度発注分)もメーカーから納入予定で、急ピッチで運用評価が進みそうです。

そして、海上自衛隊にわずか3機だけ残る、第61航空隊のYS-11(YS-11M・9042)も展示。後継機として、アメリカ海兵隊から中古のC-130R導入が決定し、既に要員の一部がアメリカで訓練を開始しているので、海上自衛隊でYSが見られるのもあとわずか。名残惜しいですね。

▼写真:61航空隊のYS-11は来年引退予定 http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29526

61航空隊のYS-11は来年引退予定

厚木での地上展示では、司令官挨拶でスティーブン・ウィーマン大佐が「我々の航空機をすぐ近くで見て、高度な訓練を積んだ搭乗員達と会話を交わすことによって、NAF厚木が帯びている比類なき任務と、この美しい国日本のよき客人として、安全を考慮して訓練に励んでいることを感じてください」と語ったように、周りをロープなどで囲わず、すぐそばで機体を見て触れるのが特徴。

昨年はロープが登場していましたが、今年は再びロープを撤廃。これが厳重なセキュリティチェックの原因でもありますが、最新鋭の軍用機を間近に見る機会はそうそうありません。最新鋭の電子戦機EA-18Gのキモとも言える電子妨害ポッド、AN/ALQ-99にもベタベタ触れます。

▼写真:子供でも電子妨害ポッドに触れます http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29527

子供でも電子妨害ポッドに触れます

海上自衛隊のP-3Cも近くで見られます。ソノブイ投下口を興味津々で覗き込む人が目立ちました。

▼写真:P-3Cのソノブイ投下口に興味津々 http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29528

P-3Cのソノブイ投下口に興味津々

今年CVW-5に加入したHSM-77「セイバーホークス(Saberhawks)」のCAG機(MH-60R)は、その名の通り剣を構えた鷹が日米両国旗を持つ、日米友好をアピールするようなデザインが目を引きました。このMH-60Rは、最新の対潜水艦戦闘システムであるLAMPS Mk IIIブロックIII対応機種で、今回が日本初公開でした。

▼写真:HSM-77のCAG機 http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29529
▼写真:日米国旗と剣を持つ鷹のデザイン http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29530

HSM-77のCAG機 日米国旗と剣を持つ鷹のデザイン

また、来場者にとってラッキーだったのは、当日定期訓練飛行があり、CVW-5の所属機が離着陸を実施したこと。帰還時にはオーバーヘッドアプローチからのコンバットピッチに加え、デモフライトまではいかないものの、タッチアンドゴーなど若干のサービスもありました。

▼写真:訓練飛行中のHSM-77所属MH-60R http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29531
▼写真:着陸したVFA-102のCO機 http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29532

訓練飛行中のHSM-77所属MH-60R 着陸したVFA-102のCO機

着陸後には来場者にパイロットが手を振る姿も。

▼写真:フライト後観客に手を振るVFA-195のパイロット http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29533

フライト後観客に手を振るVFA-195のパイロット

地上展示でもパイロット達は飛行隊グッズを販売したり、記念撮影に応じるなど大活躍。

▼写真:サムアップで応えるVFA-27のパイロット http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29534
▼写真:VFA-115のパイロットがサムアップ http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29535

サムアップで応えるVFA-27のパイロット VFA-115のパイロットがサムアップ

VFA-102「ダイヤモンドバックス(Diamondbacks)」は、今年日本展開10周年。しかも隊のニックネームであるガラガラヘビ(Diamondback)と同じ巳年が重なって、記念のTシャツなどが並んでいました。

▼写真:VFA-102のCAG機 http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29536

VFA-102のCAG機

VFA-195「ダムバスターズ(Dambusters)」では、CAG機「Chippy Ho!」のマスコットも登場。緑の全身タイツにリアルなハクトウワシの頭とちょっと不気味な姿だからか、見ていた限りでは小さい子のウケはイマイチだったようです。

▼写真:VFA-195のマスコットも登場 http://otakei.otakuma.net/?attachment_id=29537

VFA-195のマスコットも登場

飛行場地区から離れたフィールドに設けられたステージでは、神奈川県立中央農業高校の和太鼓部や、基地内の有志によるバンド(副司令官バンドも登場)やDJによるパフォーマンスもありました。有志による野点や、各部署による模擬店もあり、来場者は楽しんでいましたね。CVW-5の婦人会(Wife’s club)のブースには「私達がCVW-5をコントロールしている」旨の張り紙があり、アメリカでも奥様方が実権を握ってるのかな、と思ったりもしました。

アメリカの歳出強制削減措置はいまだに終わりが見えません。このまま続くと、来年は更に歳出が減らされるので、今年以上に米軍関連のイベントは開催が難しくなりそうです。外国の財政事情の話なのでなんとも言えませんが、良い方に向かってくれればいいな、と思わざるを得ませんね。

(文・写真:咲村珠樹)

【建物萌の世界】第23回 万世橋の思い出

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こんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」でございます。「おたくの聖地」として定着した秋葉原。その目と鼻の先である万世橋に、2006年5月14日まで存在したもうひとつの「聖地」がありました。今回は跡地に新しいビルも建ったことですし、そこにあった建物……交通博物館を思い出してみようと思います。

【掲載されている全ての写真を見る】

往時の交通博物館正面

交通博物館の建物が完成したのは1936(昭和11)年。同地にあった、辰野金吾・葛西萬司設計で1912(明治45)年築で、東京駅の習作とも言われる初代万世橋駅の基礎をそのまま流用して建てられています。設計したのは鉄道省の技手だった土橋長俊。上司として技師の伊藤滋が監督につきますが、設計のほとんどは土橋の手によるものでした。土橋は鉄道省入省後、近代建築の巨匠のひとりである、ル・コルビュジェのフランスにあるアトリエに留学した経歴を持つ人物。いわゆるモダニズム建築を本場で学んだ設計士でした。鉄筋コンクリート造で完成した建物は、ル・コルビュジェというよりも、むしろドイツのバウハウスの影響を受けた国際様式(インターナショナルスタイル)の建物といえます。

土橋は雑誌『国際建築』1936年5月号に「鉄道博物館設計後記」という文章を寄せていますが、既存の建物基礎を流用する為に建物の平面型が制限されるなど、設計に苦心する部分があったようです。最終時は白い外壁の建物、という印象でしたが、実際はタイル張り。建物正面に展示された新幹線電車(21-25)カットボディの裏側には、塗り込められたタイル部分がうっすら見えていました。

外壁タイルは塗り込められている

タイルの目地は、東京駅などと同じくふくらみを持たせた「覆輪目地」仕上げ。創建当時のタイルの色は灰緑色で、万世橋駅のホーム跡からはよく見ることができました。この部分は線路に近すぎる為に外壁塗装ができず、結果的に創建当初の様子を残すことになったのでしょう。

ホーム跡から見た創建当初の外壁

創建当初は3階建て。4階部分は来館者、特に学校の校外学習による団体見学の増加で、食事などをする休憩スペースが不足した為に、1958(昭和33)年に鉄骨モルタル造で増築されたものです。

4階は1958年に増築された

これに先立つ1952(昭和27)年には、1910(明治43)年に完成した日露戦争の「軍神」広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像が1947(昭和22)年に撤去された跡地(都有地)を購入し、企画展示用の別館が作られました。

広瀬中佐銅像跡に作られた別館

さて、館内に入るとまず目に入るのがマレー式機関車と、国鉄最後のSL定期旅客列車(1975年12月14日・室蘭本線225列車)を牽引したC57 135号が展示された通称「機関車ホール」。3階までの吹き抜けが印象的な空間です。初代駅舎では、この部分は改札前の大広間として大きな空間が確保されており、その広さを利用したものでした。天井に舞うのは、日本で最初の飛行をした2機のうち現存する唯一の機体、徳川好敏大尉(当時。のち陸軍中将)が操縦したアンリ・ファルマン機と、日本で初めて民間登録されたヘリコプターのうち唯一現存する、日本ヘリコプター輸送(全日空の前身)のベル47D-1ヘリコプター(JA7008)。

吹き抜けの機関車ホール

アンリ・ファルマン機は陸軍航空士官学校があった入間基地で保存されていたのですが、戦後進駐軍が接収してアメリカに持ち帰ります。1961(昭和36)年に航空自衛隊に返還された際、当時の航空幕僚長だった源田実が交通博物館での展示を決め、寄託という形で展示されていたもの。閉館後は航空自衛隊に返還され、現在は戦前と同じように入間基地にて保存されています。ベル47D-1は全日空から1970年(昭和45)の引退後、1973(昭和48)年に寄贈されたもので、閉館後全日空に返還されて現在は東京都大田区にあるANAグループ安全教育センターで保存されています。

機関車ホールを見上げる

機関車ホールの上部は創建当初の雰囲気を良く残していました。屋根は何度か葺き替えられているものの、鉄骨の小屋組や明かり取り兼換気用の窓は、昭和初期そのまま。

機関車ホールの小屋組 機関車ホールの換気窓

1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲を機に一時休館した鉄道博物館ですが、幸い、以前(第19回)にご紹介した連雀町はじめ万世橋周辺は、神田川対岸の秋葉原とは違い空襲被害を受けませんでした。唯一、5月24日の空襲において焼夷弾(E46収束焼夷弾)のケースがひとつ、機関車ホールの天井を突き破り、展示してあったマレー式機関車に当たりました。今も車体後部には当時の傷跡(へこみ)が残っているので、大宮の鉄道博物館で確認することができます。

マレー式機関車に残る焼夷弾ケースの損傷痕

建物デザイン上の大きな特徴は、円筒形の階段室。かつては鉄製のサッシ窓でしたが、後にアルミ製に交換されています。窓の面積が大きく、バウハウス的なデザインが最も良く表れた部分だと言えます。

円筒形の階段室と別館への連絡通路 円筒形の踊り場が美しい階段室

入口の反対側、昌平橋側の面から見ると、世界遺産に認定されているドイツ・デッサウのバウハウス校舎にも少し雰囲気が似ています。

昌平橋側から見た様子

階段室の照明もバウハウス的なモダンデザイン。円筒形のかごに丸い灯具が付くものでした。

モダンデザインの階段室灯具

また、この階段室は当時流行していた人造石の研ぎ出し仕上げ、略して「ジントギ」が多用されており、そのバラエティが面白いものでした。手すり部分はグレーの本体、クリーム色の手すり、そして上に付いた装飾と、徐々に中に混ぜ込んだ砕石(大理石)の粒が大きくなっている凝りよう。制作した左官屋さんの腕がしのばれます。

階段は複数のジントギが組み合わされる 階段手すりは複数のジントギで構成

階段の蹴上部分には、真鍮の切文字で階数表記が埋め込まれていました。

階段蹴上にあった切文字の階数表示

3階には映画ホールがありました。交通博物館は映像資料も収集しており、東京駅近くの高架下にあった鉄道博物館時代の1928(昭和3)年から常設の映写室を設けて上映会を行っていました。これが入館者に好評だった為、万世橋移転時にも引き継がれたのです。

3階の映画ホール

しかし高架下時代には300名収容でしたが、万世橋では展示スペースに多くを割いた為、機関車ホールに若干はみ出すなど階下より床面積を拡大したものの、収容人数は半分以下の144名となっていました。

映画ホールの張り出し部

増築された4階部分には1961(昭和36)年10月、手狭になった1階の喫茶室を移転させる形で「こだま食堂」がオープンしました。国鉄大井工場と車両メーカーである日本車輌が、本物の151系特急「こだま」食堂車のような造りにし、営業を担当するのは実際の食堂車を運営する日本食堂(現:日本レストランエンタプライズ)。実際の食堂車と同じメニューが、食堂車と同じコックとウェイトレスから提供されるという形態でした。在来線昼行特急列車での食堂車営業が終了した後は、ウェイトレスの制服は廃止されています。

1961年にできた「こだま食堂」

食堂の表には「6号車」の表記に「サシ151-3」の車両番号。これはオープン直前(1961年9月)時点のこだま12両編成に準拠したものでした。オープン直後の1961年10月に行われたダイヤ改正で、こだまは12両編成から4号車に入っていた1等車(グリーン車)サロ150形を抜いた11両編成に減車され、食堂車は6号車で変わらないものの、車両は付随車から電動車のモハシ150形(5号車がサシ151形)に変更されています。

ところで、交通博物館は1943(昭和18)年まで、中央線の万世橋駅と併置された形になっていました。元々、甲武鉄道のターミナルとして高架線と共に1912(明治45)年に完成した万世橋駅。初代駅舎は先に述べたように、辰野金吾・葛西萬司設計による東京駅の習作説もある、レンガ造3階建ての壮麗な建物でしたが、東京大震災で全焼。レンガの躯体は無事だったので、コンクリートで補強して再利用した2代目駅舎が使用されていました。

この間の1919(大正8)年には、万世橋〜神田〜東京の区間が完成して中央線が東京駅発着となり、震災後は復興事業で万世橋駅前にあった須田町交差点が移動して交通量が減少。さらに隣のお茶の水駅が1932(昭和7)年に万世橋寄りに移転して、総武線との乗換駅になってしまいます。徒歩圏には山手線と総武線の乗換駅である秋葉原駅と、山手線と中央線との乗換駅である神田駅ができ、こうした周囲の変化により、中央線専用である万世橋駅の利用者も減少していました。

その為、東京駅そばの高架下で手狭になり、当初四谷駅に移転が検討されていた鉄道博物館(当時)の新たな移転先として白羽の矢が立ちます。もともとターミナル駅でしたから、それなりの建物面積があり、しかも当時利用客が減少してスペースを持て余している……とうってつけだったようですね。駅の機能は大幅に縮小し、建物スペースの大部分を博物館に充てていました。

なので、駅舎の基礎を流用した建物だけでなく、展示室は高架下のスペースなど、駅の構造を流用して作られていました。御料車室は使わなくなった、ホームへの通路を転用しており、建物の建設途中に御料車を運び込んで作られました。

ホームへの通路を転用した御料車室

縮小された駅への入口は、博物館の建物と高架橋との間に作られました。1943(昭和18)年の万世橋駅営業休止(実質的な廃止)後、駅のスペースは事務室となり、入口には国鉄が作る全国の記念切符を販売する窓口となります。発売駅まで行かずに買える為に、記念切符ファンに人気だったこの窓口は、国鉄民営化直前の1987(昭和62)年2月まで営業していました。

かつての駅入口は右奥

ホームへの通路は、営業を休止した1943年(昭和18)年のまま時を止めたような空間でした。壁面タイルは1936(昭和11)年に張られたもの。そこには戦時中のポスターが残っていました。これは後に剥がされて保存処理がなされ、交通博物館末期には展示もされていました。

電車ホームへの階段 萬世橋駅跡に残されたポスター

ホームへの階段はもうひとつ。1912(明治45)年当時のままの階段を流用し、駅のホームから直接博物館に入れる階段が館内に残されていました。こちらも壁面は1936年、博物館建設時にタイル張りになりましたが、石の階段自体は昔のまま。明治時代のターミナルの記憶を残した唯一の遺構ともいえる部分でした。駅の営業休止後は、清掃用具などを入れる倉庫として活用していたようです。

開業当初の階段が残る中央階段

踊り場から館内へのスペースは休憩所となっていました。この部分の階段が半分の幅に切り取られていたのは、戦後この場所に72系電車(モハ72245)のカットモデルが設置され、ドア開閉の体験ができる展示があった為です。

展示の為に切り欠かれた中央階段

2006年5月14日の最終開館日から、展示物の搬出の為にまず別館が壊され、2009年8月20日に本館の取り壊し工事が始まりました。そして2013年、跡地にJR神田万世橋ビルが完成し、現在残るのは明治時代に作られた中央線の高架橋のみ。往時をしのぶことは難しくなりましたが、モダンな博物館の建物を時々思い出してくれると「交博おたく」として嬉しく思います。

閉館後の様子 明治時代のレンガ造高架

(文・写真:咲村珠樹)

【宙にあこがれて】第33回 対戦車道、やってます!~第41回・木更津航空祭~

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宙にあこがれて・木更津航空祭

こんにちは、咲村珠樹です。さる5月12日、千葉県木更津市にある陸上自衛隊木更津駐屯地で、駐屯地創立45周年記念行事・第41回木更津航空祭が行われました。今回は見どころいっぱいのイベントの様子をご紹介しましょう。

【関連:下総基地開設記念行事レポート】

木更津駐屯地は、元木更津海軍飛行場跡に開設されたもの。戦前の1938(昭和13)年には「紅の翼」航研機の周回長距離世界記録飛行の発着点に、そして戦争末期には日本初のジェット機「橘花」の初飛行も行われた由緒ある場所です。現在は中央即応集団隷下の第1ヘリコプター団、東部方面航空隊・第4対戦車ヘリコプター隊などが駐屯する、陸上自衛隊の航空拠点となっています。

木更津駐屯地正門

今回のキャッチフレーズは「木更津から羽ばたけ未来へ」というもの。記念式典の後、観閲飛行に向けてヘリコプターらが一斉に離陸します。

観閲飛行に向け一斉に離陸するヘリコプター

隊形を整えた後、指揮官機であるOH-6Dを先頭にUH-60JA(第1ヘリコプター団第102飛行隊)、AH-1S・OH-1(第4対戦車ヘリコプター隊)、CH-47J/JA(第1ヘリコプター団第1輸送ヘリコプター群)、固定翼機のLR-1・LR-2(第1ヘリコプター団連絡偵察飛行隊)が編隊を組んで整然と飛行します。

OH-6Dを先頭にした観閲飛行

ここ、木更津駐屯地は羽田空港の離着陸ルートの真下に当たります。日本で最も過密な空域で、上空をひっきりなしに羽田空港へ向かう着陸機が通過する為、観閲飛行や以降の飛行展示に於いては、民間旅客機と十分な高度差を取り、安全に細心の注意を払っていました。……逆に、旅客機からはこれらの観閲飛行の編隊を上から眺めることができたので、気付いた乗客にとっては新鮮な眺めだったかもしれません。

混み合う空域で細心の注意を払った飛行

観閲飛行終了後は訓練展示。第1ヘリコプター団の機材と連携した部隊の運用(いわゆるヘリボーン)を紹介していきます。まずはOH-1での偵察後、ドアガン(12.7mm機関銃M2)を装備したUH-60JAが対地射撃を行い、展開の支障となる地上の脅威を取り除きます。

▼UH-60JAの地上射撃動画:http://www.nicovideo.jp/watch/1368756618

続いて、CH-47Jからロープが垂らされ、普通科隊員がラペリング降下。続く上空からの機材進出に備え、周辺を警戒します。

ロープ降下する普通科隊員

続いてCH-47Jが吊り下げた高機動車を下ろします。

高機動車を懸吊して飛行するCH-47J

さらに上空で対戦車ヘリAH-1Sが警戒する中、別のCH-47J2機が着陸。中から偵察用オートバイと1/2tトラック(パジェロ)が走り出て、周辺の偵察を実施。

CH-47Jから偵察用オートバイが走り出る CH-47Jから出る1/2tトラック

作戦終了後、普通科隊員が撤収する際は、CH-47Jから下ろされたロープに複数の隊員が吊り下がり、四方を警戒したままの状態で離陸。安全な場所まで後退します。CH-47に吊り下げられたまま空を飛ぶ普通科隊員の姿は、まるでブドウの房のようにも見えます。

離脱準備をする普通科隊員 普通科隊員を吊り下げ離脱するCH-47J

訓練展示の後は、第4対戦車へリコプター隊によるOH-1とAH-1Sの展示飛行。AH-1Sには第4対戦車ヘリコプター隊のエンブレムにある、般若をデザインしたスペシャルマーキング機(第1飛行隊・第2飛行隊で2機ずつ計4機)もありました。OH-1のペアは、向かい合ってダンスをするかのように回転する定番の飛行も披露。

AH-1Sのダイヤモンド編隊 向かい合って回転するOH-1

地上展示も盛りだくさんです。第4対戦車ヘリコプター隊は、第1飛行隊のAH-1S(OH-1と並び、昨年も話題になったスペシャルマーキング仕様)を使って、近頃はやっている「戦車道」の向こうを張った「対戦車道」を解説する装備品展示を実施。途中にダンスも挟むというエンターテインメント性の高いもので、来場者の喝采を浴びていました。

▼第4対戦車ヘリ隊「対戦車道」講座動画:http://www.nicovideo.jp/watch/1368757163

こなれたダンスは、勤務(課業)時間外に半月程の練習をこなして練り上げたもの。アピール度は非常に高いので、他の駐屯地祭でも出張して行ってほしいくらいですね。……ちなみに、第4対戦車ヘリコプター隊がこのように「これからは対戦車道!」とアピールしていながらも、会場のBGMでは『ガールズ&パンツァー』のBGMが流れていたりしましたが……。

その他で注目なのは、連絡偵察飛行隊のLR-1。三菱のビジネス機MU-2をベースにしたもので、老朽化によって退役が進んでおり、もはやここ木更津駐屯地と北海道の丘珠駐屯地(札幌の丘珠空港)くらいにしかありません。木更津の2機のうち22020号機は2013年度中に退役予定です。民間登録のMU-2は既に国内からいなくなってしまったので、非常にレアな機体となりました。

LR-1の機内公開 天翔る「證誠寺のタヌキ」マーキング

スペシャルマーキングとして、垂直尾翼に旧陸軍の偵察飛行隊だった独立飛行第18中隊のマーキングだった「天翔る虎」をモチーフに、木更津市にある有名な伝説「証城寺の狸ばやし」にアレンジした「天翔る狸」が描かれていました。ヘリコプターのスペシャルマーキングは、すぐに任務に戻れるよう、カッティングシートによる貼り付け加工となっていますが、このLR-1はちゃんとした「特別塗装」です。機内も公開され、パイロットによる解説もありました。高い機動性がウリだったMU-2(LR-1)ですが、特徴であるスポイラーによる横操縦システム(通常は補助翼を使用するが、MU-2は主翼先端までフラップがある為補助翼がない)は低速で舵の効きが悪く、着陸時は大きく操縦桿を動かす必要があるとか。

また、皇族や総理大臣など要人輸送を担当する、特別輸送ヘリコプター隊のEC225LPも展示。東日本大震災の津波で、仙台空港にある整備工場で定期検査を受けていた1機(01022号機)が被災して全損しており、現在予備機のない2機体制で運用されていますが、先日代替機の予算がついたのは喜ばしいところ。

特別輸送ヘリコプター隊のEC225LP

外部からの機体では、ご近所さんともいえる海上自衛隊館山基地から第21航空隊のSH-60K、そして東京湾の対岸である海上保安庁羽田航空基地からDHC-8-Q300(JA722A)「みずなぎ」が参加。この海上保安庁のDHC-8-Q300も仙台空港で津波の被害を受けましたが、幸い全損を免れ、修復の上任務に復帰しています。両者とも、木更津まではほんの数分だそうですよ。

第21航空隊のSH-60K 海上保安庁のDHC-8-Q315(JA722A)

逆に一番遠くからは、鳥取県の航空自衛隊美保基地(米子空港)からやってきた、第41教育飛行隊のT-400。約1時間ほどの飛行時間だそうです。

第41教育飛行隊のT-400

警視庁航空隊のS-92(警察が運用する最大のヘリコプター)や、北宇都宮駐屯地の航空学校宇都宮校からは陸上自衛隊の新型練習ヘリコプターであるTH-480Bも参加。この機体は、三重県の明野駐屯地にある航空学校本校から貸し出されているもので、6月に一旦返却した後、改めて配備されることになっています。

警視庁航空隊のS-92 航空学校のTH-480B

このTH-480B配備により、航空学校宇都宮校で練習機として使われてきたOH-6Dは引退し、数を減らしていきます。北宇都宮名物となっている、航空学校の教官が操縦するOH-6Dによるアクロバットチーム「スカイホーネット」も今年限り。5月26日に予定されている、陸上自衛隊北宇都宮駐屯地の開設40周年記念行事がスカイホーネット最後の舞台となります。お別れ記念として、今年は2回の展示飛行を予定しているので、ぜひ当日は晴れて欲しいものです。

この他の地上展示機は

陸上自衛隊
CH-47J
CH-47JA
LR-2
保存機のV-107・VIP仕様(以上第1ヘリコプター団)
AH-1S
OH-1(以上第4対戦車ヘリコプター団)
AH-64D(航空学校霞ヶ浦校)

航空自衛隊
T-7(静岡県静浜基地・第11飛行教育団)

海上自衛隊
LC-90(神奈川県厚木基地・第61航空隊)

千葉市消防局航空隊
AS365N3(JA03CF)

など。

また、第1ヘリコプター団と同じ中央即応集団に属する第1空挺団(千葉県・習志野駐屯地)や、中央特殊武器防護隊(埼玉県・大宮駐屯地)からも車両が展示されました。福島第一原発事故にも出動したNBC偵察車や除染車に注目が集まっていましたね。除染車は子供が登ってジャングルジム状態。

中央特殊武器防護隊のNBC偵察車と除染車 除染車はジャングルジム状態

この他、陸上自衛隊富士学校(静岡県)から遠隔操縦観測システムも展示。風が強くて空挺降下が実施できなかった第1空挺団は、パラシュートなど装備品の装着体験も行っていました。

低空をヘリコプターが駆け巡り、様々な工夫が凝らされた展示が魅力的な木更津駐屯地。次回のイベントも楽しみです。

(文・写真:咲村珠樹)


自衛隊萌えキャラ紹介—第5回 木更津・第4対戦車ヘリコプター隊の4姉妹

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女性自衛官

全国の組織で作られる萌えキャラを探し出し、紹介する当企画。防衛省が直接企画してる訳じゃないから、結構発掘が大変だったりする訳ですが(なので情報も募集してますよ!)、今回は各方面から大反響の萌えキャラ4姉妹をご紹介。

【関連:自衛隊萌えキャラ紹介―第4回 自衛隊帯広地方協力本部の“アニメ化希望”なポスター】
 
千葉県木更津市にある、陸上自衛隊木更津駐屯地。ここの東部方面航空隊・第4対戦車ヘリコプター隊に所属する「木更津4姉妹」です。

そもそもの発端は2011年10月。開設記念行事・航空祭に地上展示する第4対戦車ヘリコプター隊のAH-1S対戦車ヘリコプター(コブラ)に、隊員が描いたオリジナルキャラ「AOIちゃん」をデザインしたスペシャルマーキングを実施したことでした。

木更津葵のステッカー

これがネットで「自衛隊始まってたwww」と評判に。たまたま『魔法少女まどか☆マギカ』の暁美ほむらに似ていた為に「ほむほむの痛コブラ」なんて話も聞かれましたが、あくまでもオリジナルキャラです。

翌2012年は、第4対戦車ヘリコプター隊の20周年(1992年3月27日新編)にあたるので「どうせならプロにデザインを頼もう!」と、広報・取材で付き合いのある市ヶ谷の某出版社を通じて、企画に乗ってくれる方を紹介してもらうことに。結果『MC☆あくしず』などで活躍するイラストレーター、藤沢孝さんが快諾してくれて「パイロット・木更津茜2等陸尉」のデザインが完成。

痛コブラとキャラパネル

この際、前年に登場したキャラを含めて「木更津4姉妹」が設定されました。

木更津茜(長女・2等陸尉)
木更津葵(次女・3等陸尉)
木更津若菜(三女・陸士長)
木更津柚子(四女)

第「4」対戦車ヘリコプター隊だから4姉妹なのかもしれません。長女と次女はパイロット、三女は通信士という設定。機体だけではもったいないので、女性隊員に茜と同じ赤いロングヘアのカツラをかぶせて、展示機と一緒に登場。実際には、女性のヘリコプターパイロットは存在するものの、職域制限で対戦車ヘリコプターのパイロットにはなれないそうです。

彼女達をデザインしたオリジナルグッズも制作して頒布。著作権・版権については、ワンフェス同様「当日限定」で藤沢さんから許可を貰ったそうです。ちなみにこの「痛コブラ」他の制作には約15万円ほどかかったとか。費用は隊員らのカンパで捻出されました。

オリジナルグッズも大人気 その他のオリジナルグッズ

プロがデザインした「痛コブラ」は前年を上回る評判を呼び、来場者によって撮影・アップロードされた動画はすごい再生数を記録する人気に。よいアピールになったのですが……その「評判」が陸上幕僚監部の方にも届き、直後の火曜日「やりすぎ」とキツいお叱りの電話が来たそうです。

今年で終了のお知らせ

そんなこともあってか、この「木更津4姉妹」の痛ヘリコプターは2013年度限りということに。先日行われた2013年度の開設記念行事・航空祭では、4姉妹のうち痛ヘリコプターになっていなかった、三女若菜と四女の柚子をモチーフにした機体2機が登場して有終の美を飾りました。

AH-1S(痛コブラ)01 OH-1(痛オメガ)
AH-1S機首アップ(三女の木更津若菜) OH-1機首アップ(四女の木更津柚子)
AH-1S尾翼アップ OH-1テイルブーム部アップ

使われたのは、第1飛行隊の対戦車ヘリコプターAH-1Sと、観測ヘリコプターOH-1。公式に「痛コブラ」「痛オメガ」の名称が用いられました。オメガというのはOH-1のコールサイン(無線通信時の呼び出し符号)。

AH-1Sは若菜、OH-1は柚子。AH-1Sには今年の駐屯地開設記念行事・航空祭のキャッチフレーズ「上総から羽ばたけ未来へ」も書かれています。

柚子のOH-1には手裏剣も書かれてますが、これはOH-1の愛称「ニンジャ」を反映したものです。そして今回も「木更津若菜によく似た隊員」が登場。第4対戦車ヘリコプター隊の任務である「対戦車道」を解説した装備品展示で解説役も務めました。

木更津若菜役の女性隊員01 木更津若菜役の女性隊員02
木更津若菜役の女性隊員03 木更津若菜役の女性隊員04
木更津若菜役の女性隊員05 木更津若菜役の女性隊員06

今回はマーキングが2機になったので、かかった予算は30万円以上に膨らんだそうです。もちろん予算はカンパ。グッズの販売で穴埋めするそうですが、とにかく関係者の熱意によって実現したのがよく判ります。

展示機の周りでは、木更津若菜似の隊員(公式には「コスプレではない」そうですよ)や、展示機と一緒に設置されたキャラの等身大パネルと記念撮影する来場者の姿も。

木更津若菜役の隊員と記念撮影する人も パネルと記念撮影する人も

最後ということで、お昼の装備品展示前にはデザインを担当した藤沢孝さんを来場者に紹介。今までの厚意に感謝の意を伝えていました。

さすがに「やりすぎ」と上からお叱りを受けた為、もうできないのが残念です。しかし1990年代、航空自衛隊・第204飛行隊のF-15に施されたスペシャルマーキング「ミスティックイーグル」シリーズ同様、伝説になったことは間違いなさそうです。

(文・写真:咲村珠樹)

※情報提供:タレコミをしてくださる方はおたくま経済公式Twitter「@otakumatch」にツイート、もしくは記事のコメント欄にご投稿ください!

【ミリタリーへの招待】日本で見られる戦闘機

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ミリタリー初心者に向けて、軽いミリタリー知識をご提供する「ミリタリーへの招待」。今回は、日本国内で開催される航空祭などのイベントで見ることのできる、航空自衛隊・アメリカ軍の戦闘機をカタログ的にご紹介しましょう。

【関連:コラム 宙にあこがれて―第28回 零戦、最後の里帰り】

日本で見られる戦闘機


一応ここでは、原則として戦闘飛行隊に配備される作戦機(有事に実戦投入される機体)を「戦闘機」として取り扱います。

 
●航空自衛隊

――F-4EJ改
原型機である艦上戦闘機、F-4H-1が初飛行したのは1958年5月。ベトナム戦争で活躍し、アメリカでは海空軍・海兵隊で共通の戦闘機として運用され「ファントムII」の愛称で知られる機体です。航空自衛隊では1971年から導入され、1972年に最初の飛行隊が茨城県の百里基地で編制されました。世界各国で5000機以上が運用されたベストセラーですが、国内で生産した(1971年~1981年)のは日本だけ。導入初期の301・302号機のみがアメリカで組み立てられたアメリカ製です。

生産が完了した1981年から近代化改修の設計が開始され、1980年代後半にレーダーや各種センサーの能力向上、採用時には取り外されていた爆撃装備を復活させ、対艦ミサイル運用能力などを付加した「F-4EJ改」として生まれ変わりました。岐阜基地に少数だけ残されているF-4EJとの判りやすい相違点は、背中のヒレのようなアンテナが大型化したことと、垂直尾翼上端後部に丸い後方警戒センサーがついたこと、レーダー能力向上により機首のレドームに静電気を逃すスジ(スタティック・ディスチャージャー)がついたことです。

現在は宮崎県の新田原基地にある301飛行隊と、茨城県の百里基地にある第302飛行隊、そして岐阜基地の飛行開発実験団で運用されています。

第302飛行隊のF-4EJ

――RF-4E/EJ
F-4戦闘機の派生型として開発された戦術偵察機です。原型となったのはF-4C。これの機首を延長し、カメラや側方監視レーダーなどを搭載したRF-4Cをさらに改良したのがRF-4E。ちなみに、RF-4Cの機首に偵察機器ではなく20mm機関砲を搭載したのがF-4E(EJ)/Fです。航空自衛隊には1974年から、老朽化したRF-86Fの代替として14機が導入されました。こちらは少数なので、全機アメリカから完成機が輸入されています。1985年の日本航空123便墜落事故や1991年の雲仙普賢岳噴火、2011年の東日本大震災などの事故や自然災害で、捜索活動や情報収集に活躍しています。

そして、RF-4Eの数が足りなくなった為、F-4EJ改に改修されなかったF-4EJの一部の機体に偵察ポッド運用能力を付加し、偵察機としたものがRF-4EJです。RF-4Eに較べて、機体の迷彩塗装が暗いトーンになっているのがパッと見の相違点。胴体下に白い偵察ポッドを装着して運用されています。この偵察ポッド以外はF-4EJそのままなので、非武装のRF-4Eと違って自衛戦闘を行うことができるのが特徴。RF-4E/EJとも、茨城県の百里基地にある第501飛行隊で運用されています。

第501飛行隊のRF-4E 第501飛行隊のRF-4EJ

――F-15J/DJ
原型機のF-15Aは1972年初飛行。F-104J/DJの後継として、F-15C/Dをベースに1980年から導入された機体です。これも国内で生産したのは日本だけ。ライセンス生産に当たり、一部のセンサー類についてはアメリカから技術移転されなかったので、日本で開発されたものを採用しています。その為、F-15C/Dと違って左右の垂直尾翼上端が同じ形をしている(C/Dは左側の垂直尾翼に赤外線妨害装置があるので、そちらだけ上端が大きく膨らんでいる)のが特徴。F-15Jは1人乗り、F-15DJは2人乗りで、主に訓練に用いられます。

導入から30年以上経ちますが、まだまだアメリカをはじめとする各国で主力戦闘機として活躍中。航空自衛隊では北海道の千歳基地にある第201・203飛行隊、茨城県の百里基地にある第305飛行隊、石川県の小松基地にある第303・306飛行隊、福岡県の築城基地にある第304飛行隊、沖縄県の那覇基地にある第204飛行隊で実戦配備されています。この他、宮崎県の新田原基地にある、F-15パイロットを養成する第23飛行隊、空中戦の訓練で相手方(敵役)となる腕利き揃いのパイロットが所属する飛行教導隊、そして岐阜基地の飛行開発実験団で運用されています。

第305飛行隊のF-15J 第23飛行隊のF-15DJ

――F-2A/B
戦後初の国産戦闘機F-1の後継として、2000年から導入された機体です。日米関係を巡る様々な政治的思惑の結果、F-16が原型となりましたが、そのままでは要求性能を満たさない為に全面的に再設計され、見た目以外は全く共通点のない別の機体です。並ばないと判りませんが、F-2の方がひと回り以上大きいんですよ。低空・低速での運動性と加速力はF-15を上回る性能。2011年に製造が終了しています。

また、F-2は量産戦闘機として2つの「世界初」を持っています。
ひとつは炭素繊維複合材(CFRP)による一体成型された主翼を持つ初めての機体。国内(三菱重工)で両翼とも製造できたのですが、大人の事情で片翼はアメリカのロッキード・マーティンで作られました。また、この実績から三菱重工はB787のCFRPで一体成型された主翼の製造を受け持っています。
もうひとつは、アクティブ走査式フェイズドアレイ(AESA)レーダーを装備した初めての機体。最新の戦闘機では標準的な装備ですが、F-2が世界に先駆けて国産のAESAレーダーを採用したのです。

F-2Aは1人乗り、F-2Bは2人乗りで、主に訓練に用いられています。現在青森県の三沢基地にある第3・8飛行隊、福岡県の築城基地にある第6飛行隊、そして訓練飛行隊である宮城県の松島基地にある第21飛行隊、岐阜基地の航空開発実験団で運用されています。東日本大震災の津波で松島基地にあった全航空機が被災し、ここに重点配置されていたF-2Bの半数以上が使えなくなってしまいましたが、10数機が修理されることになりました。まだ松島基地でF-2での訓練ができる状態ではないので、現在第21飛行隊の訓練は三沢基地で行われています。

第3飛行隊のF-2A 第21飛行隊のF-2B

 
●アメリカ空軍

――F-15C/D イーグル
数の上ではまだまだ主力戦闘機なのがF-15。ベトナム戦争の戦訓から「対地攻撃能力よりも、とにかく空中戦で強い戦闘機を」というコンセプトの下で開発されました。原型機の初飛行は1972年。1974年から導入が開始され、1976年に初めての飛行隊が編制されました。2007年に生産が完了しています。左の垂直尾翼先端に赤外線妨害装置(IRCM)を装備している為、垂直尾翼が左右比対称なのが航空自衛隊のF-15J/DJとの外見上の相違点。日本では沖縄県の嘉手納基地に駐留する第18戦闘航空団(18FW)の第44戦闘飛行隊「Vampires」・第67戦闘飛行隊「Flying Cocks」で運用されています。18FW所属機の尾翼に記載される、所属を表す2文字のアルファベット(テイルコード)は「ZZ」。ガンダムの影響で1980年代後半から、ファンの間で「ダブルゼータ」などと呼ばれるようになりました。

第18戦闘航空団第44戦闘飛行隊のF-15C

――F-15E ストライクイーグル
ほぼ空中戦専門だったF-15に強力な対地攻撃能力を付加し、1989年に導入したのがF-15Eストライクイーグルです。多様な兵装を運用する為に機体構造が強化されており、F-15ではオプション装備だった機体と一体化する追加燃料タンク「コンフォーマルタンク」を標準装備し、夜間攻撃も行う為に黒っぽい迷彩塗装にしたのが外見上の特徴。F-15は基本的に1人乗りですが、F-15Eでは扱う兵装が多岐に渡る為に、後席に兵装システム士官(WSO)を乗せた2人乗りです。

基本的にほとんどアメリカ本土に配備されており、日本にいる機体ではありませんが、時折日本や韓国に派遣されることがあり、目にすることがあります。

第366戦闘航空団第389戦闘飛行隊のF-15E 胴体側面のコンフォーマルタンクがF-15Eの特徴

――F-16C/D ファイティング・ファルコン
F-15が大きく高価な為、もう少し小型で安い戦闘機で数を補おうという軽量戦闘機(LWF)計画によって採用され、1979年に導入されたのがF-16です。手頃な大きさ・価格だった為に世界各国で採用され、F-4に次ぐベストセラー戦闘機になりました。操縦桿が直接動翼(操縦する為に動かす翼の部分)を動かすのではなく、間にコンピュータが介在して電気信号で操縦を行う「フライ・バイ・ワイヤ(FBW)」を本格的に導入した機体で、操縦桿は旧来の脚の間ではなくコクピット右側のパネルにある「サイドスティック」を採用しています。操縦する為の力を伝えるのではなく、あくまでも電気信号を入力するジョイスティックのように操縦桿の役割が変化したので、パイロット達はSFドラマ『宇宙空母ギャラクティカ』に登場する戦闘機ヴァイパー(Viper)のようだ……ということで、ファイティング・ファルコンではなく「ヴァイパー」というニックネームで呼んでいます。

日本には、青森県の三沢基地に駐留する第35戦闘航空団(35FW・テイルコードWW)の第13戦闘飛行隊「Panthers」・第14戦闘飛行隊「Samurais」に、敵防空網制圧(SEAD)任務仕様のF-16C/Dブロック50(CJ/DJ)が配備されています。お隣韓国には、烏山(オサン)空軍基地に駐留する第51戦闘航空団(51FW・テイルコードOS)の第36戦闘飛行隊「Flying Fiends」、群山(クンサン)空軍基地に駐留する第8戦闘航空団(8FW・テイルコードWP)の第35「Pantons」・第80戦闘飛行隊「Juvats」に、通常型であるF-16C/Dブロック40(CG/DG)が配備されており、時折航空祭などで日本に飛来することがあります。

第35戦闘航空団第14戦闘飛行隊のF-16CJ 第51戦闘航空団第36戦闘飛行隊のF-16CG

――F-22 ラプター
1997年に初飛行し、2005年に実戦配備された、アメリカ空軍が誇る最新・最強の戦闘機がF-22ラプターです。どんな戦闘機を相手にしても抜きん出た力を持つ戦闘機(Air Superiority Fighter)として開発された機体で、高いステルス性と推力偏向ノズルによる卓越した運動性、加速装置であるアフターバーナーなどを使わずとも超音速飛行が可能な「スーパークルーズ」能力などを誇ります。2040年までは第一線で使用する予定だとか。

それまでの戦闘機とは一線を画した革新的な機体なのですが、そのお陰で開発費用がかさみ、1機あたりの調達コストが高騰してしまいました。他国に売って生産機数を稼ぎ、量産効果でコストを下げる……ということも、あまりに先進的すぎて「空飛ぶ軍事機密」になってしまった為に議会の許可が下りず、セールスができなくなるという悪循環。結局高い調達コストに耐えきれず、2011年に当初の予定の3分の1以下、という200機に満たない数で製造が打ち切られました。

結果的に「虎の子」となってしまった為、アメリカ国内の基地にしか配備されていません。しかし時折沖縄の嘉手納基地や韓国に遠征して数ヶ月間の訓練を行っているので、このタイミングに合えば、日本で見かけることができます。

第1戦闘航空団第27戦闘飛行隊のF-22A

 
●アメリカ海軍

――F/A-18E/F スーパーホーネット
横須賀を事実上の母港とする空母ジョージ・ワシントン。その艦載機を中心とする第5空母航空団(CVW-5)で運用されている戦闘機です。F/A-18ホーネットの改良型、という形になってはいますが、全面的に再設計がなされ、ひと回り大きくなるなど、見た目以外はまるっきり別の機体といえます。F-16と日本のF-2の関係に似ているかもしれません。機首上面に張り出したアンテナカバーをサイの角に見立てて「ライノ(Rhino=サイ)」という非公式なニックネームがついています。おたく的には、ガンダムっぽく「ツノ付き」とか訳してみるのもいいかもしれませんね。

1人乗りのF/A-18Eと2人乗りのF/A-18Fがありますが、飛行隊によって使用機が違います。CVW-5でいえば、VFA-102「Diamondbacks」は2人乗りのF/A-18Fを使用し、それ以外の飛行隊(VFA-27「Royal Maces」・VFA-115「Eagles」・VFA-195「Dambusters」)は1人乗りのF/A-18Eを使用しています。VFA-102の前使用機は2人乗りのF-14だったので、そのまま移行した訳ですね。CVWー5のF/A-18E/Fは全て最新のブロック2で、これは現在海軍の空母航空団唯一。

VFA-115のF/A-18E VFA-102のF/A-18F

――EA-18G グラウラー
F/A-18E/Fから派生した電子戦機です。グラウラー(Growler)とは「グルルル……と唸るもの」の意。電波妨害と共に、空対空ミサイルや対レーダーミサイルも運用できるので、単独での攻撃能力も持っています。2人乗りで、後席には電子妨害士官(ECMO)が搭乗して搭載機器の運用に当たっています。同じ2人乗りのF/A-18Fとの相違点は、主翼端に電子戦ポッドがついて膨らんでいること。

空母ジョージ・ワシントンのCVW-5に所属するVAQ-141「Shadowhawks」で運用しています。CVW-5はF/A-18E/F系の機種で統一された、海軍初の空母航空団です。
VAQ-141のEA-18G
 
●アメリカ海兵隊

――F/A-18C/D ホーネット
アメリカ空軍の軽量戦闘機(LWF)計画でF-16に敗れた、YF-17コブラを原型として開発された艦上戦闘機です。LWFの基準ではF-16の方が有利でしたが、海軍の考える基準ではYF-17の方が優れていたということで、評価は基準によって変わるという例のひとつですね。1980年より海兵隊・海軍で導入が始まり、2000年で生産が完了しました。

海兵隊では、上陸部隊の脅威となる陸上戦力や航空戦力を攻撃する、近接航空支援の用途に使用しています。主に陸上基地から運用されるのですが、場合によっては海軍の空母からも運用されます。日本では山口県の岩国航空基地に第12海兵隊航空群(Marine Aircraft Group 12=MAG-12)が拠点を置いており、VMFA(AW)-242「Bats」が常駐する他、アメリカ本土からもローテーションで飛行隊が駐留しています。

VMFA-312のF/A-18C VMFA(AW)-242のF/A-18D

日本で見られる戦闘機としては、だいたいこれで全部と言えます。アメリカ海兵隊のAV-8BハリアーIIは戦闘機のように見えますが、攻撃飛行隊に配備されており、任務上攻撃機という位置づけです。逆にアメリカ空軍のA-10は、戦車をしとめる対戦車道の「タンクキラー」として知られる攻撃機ですが、戦闘飛行隊(空軍には爆撃飛行隊はあっても攻撃飛行隊はない)に配備されていたりと、少々ややこしい感じ。また、これ以外にも民間機として、民間軍事会社のATAC社が訓練用仮想敵機としてイギリス製の戦闘機ホーカー・ハンターを運用しており、時折アメリカ軍の訓練支援の為日本にやってきます。

第51戦闘航空団第25戦闘飛行隊のA-10 民間軍事会社ATACのホーカー・ハンターF58

全部を一度に見ることは不可能ですが、こまめにイベントなどに脚を運んでいれば、これらの戦闘機達を目にすることができます。ぜひ、機会を見つけて見に行ってみてくださいね。

(文・写真:咲村珠樹)

コミケ一般参加初心者のための“誰も教えてくれないコミケの常識”

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8月10日(土)から3日間、東京ビッグサイトで開催される夏のコミックマーケット、通称夏コミ。
3日間で60万人近くの人が参加する世界最大級の同人誌即売会です。

【関連:コミケサークル参加初心者のための“誰も教えてくれないコミケの常識”】

聖地・東京ビッグサイト


前回「サークル参加初心者のための常識」をご紹介させていただきました。今回は続編で「一般参加編」です。

偉そうに色々並べてありますが、あくまで一般論で「こうしろ!」というものではありません。順不同ですが、考え方の一例として受け取って頂ければ幸いです。

なお、本稿はコミックマーケット準備会が公式に発表した情報ではありません。あくまで一般参加経験者目線での注意事項解説です。

掲載する内容以外にも、一般参加経験者目線で「これは知っとけ」という情報があれば、コメント欄などで記事に追記を加えていただけると幸いです。
特に、記者は西館企業ブースは範疇外です。そのため、特に西館企業ブース経験者の方には追加情報の提供をお願い致します。

 
――参加前の心構え

●カタログの前半部分を熟読してほしい
コミケットにおいて、カタログは「入場券代わりに全員が購入するもの」ではありません。カタログを入手しなくても会場に入り、楽しむことができるのがコミケットの特徴です。ですが、カタログの前半部分は、会場での諸注意など、重要な事項が記載してあります。読み飛ばさず、頭に入れておきましょう。冊子型のカタログは参加サークル数が増えるに従ってページ数が増え、俗に「電話帳」「人が殺せる」「鈍器のようなもの」などと言われる規模になった為、事前に入手した人は会場に持参せず、行きたいサークルをチェックした資料だけを持っているケースが多くなっています。また、DVD-ROM版は「必要な部分だけ見られ、プリントアウトできる」という特性から、余計に会場での諸注意事項を見ない傾向があります。そして今回から本格稼働するWebカタログは、基本的にサークルの検索機能しか有していません。「コミケットはどういうイベントなのか」という、創設時からの精神を含めて、内容をよく理解して会場では行動してください。
「コミケットとは何か」ということについては、公式サイトにPDFとして掲げられていますので、ぜひご一読ください。
http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIs.html

●マンガレポートも忘れずに
カタログの後ろにあるマンガレポート。参加者による前回コミケットのレポートが1コマまんがで描かれています。前回どんなことがあったのか、そしてコミケット参加における豆知識を得ることができるので、ぜひ読んでみてください。実況スレなどでは言及されなかった話もありますよ。……ちなみにサークル初参加の時、マンガレポート「感謝・感激」編のネタにされたことがあります。「ひんしゅく」編のネタじゃなくて良かったなぁ、と。

●できれば身ぎれいに
汗をかく夏だけに、せめて前日にはシャワーを浴びるなど、身ぎれいにして出かけましょう。めかしこむ必要はありませんが、サークルさんはじめ他者と交流することになるので、他の人からどう見えるかということも考えるとよいかと思います。フレグランスは強すぎると不快に思う人もいます。

●自分を過信しない
徹夜(会場周辺の徹夜待機ではなく、wktkして眠れないとか、仕事が押して寝る時間がないとか、コピー本の製本で寝られないとか)もそうですが、自分の力を過信しないでください。体力だけじゃありません。財力もです。会場に設置されたATMに、同人誌やグッズが詰まった紙袋を持って並び、お金を下ろしてまた会場(ホール)に引き返していく人を見かけると、特にそう思います。体力・財力ともに余裕を持って参加し、帰宅してほしいものです。

 
――【超重要事項】これは絶対やっちゃダメ!!!

●徹夜ダメ! ゼッタイ!
徹夜は、コミケット準備会が定めた数少ない禁止行為のひとつです。周辺の治安悪化も招きますし、犯罪に巻き込まれるケースもあります。徹夜が容認されたのはコミケットの歴史の中でただ一度。2005年3月21日に開催された「30周年記念24耐(!?)コミケットスペシャル4」のみ。……これは設営から撤収まで24時間以内で行うという企画で、開会(第1部)が午前3時だったことによるものです。それでも未成年者は、始発が到着するまでは来場しないよう呼びかけられていました。このケースを除いては、公共交通機関の始発が会場最寄りの駅・停留所に到着するまで、会場周辺に来ないよう呼びかけています。ビッグサイト移転当初は、宿泊施設やコンビニを除いて深夜会場周辺にいられる場所はなかったのですが、現在は温泉施設(朝9時まで営業)など、深夜でも滞在できる場所が色々できてしまっているのが悩ましいところ。

 
――当日の心構え

●お昼過ぎの来場が吉
初心者もそうですが、特に数量限定とか、人気のあるものがお目当てでない場合は、お昼過ぎから来場することをお勧めします。大体、一般参加者の入場待機列はお昼過ぎには解消して、入場規制が解除されています。

●日傘は危険かも
入場待機列など、屋外で太陽にジリジリ灼かれる場面が多いのが夏のコミケットの特徴。必然的に日焼けすることになり「コミケ焼け」などと言われますね。1981年12月のコミケット19以来、会場(晴海の国際見本市会場、平和島の東京流通センター、千葉の幕張メッセ、有明の東京ビッグサイト)がずっと海に近い場所にある関係で「海で日焼けした」と言うのも定番です。これにより、日焼けを避けたいのとおしゃれアイテムとして日傘を持参する人がいますが、人が密集する入場待機列や会場内で日傘を開くのは危険です。特に露先(傘骨の先端部分)が他の人の目に当たり、まるで『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐のように「あぁ~、目がぁ、目がぁ~っ!」ということが起こりますので、持参しない方が無難かもしれません。帽子でのおしゃれや、アームカバーでの日焼け防止策も試してみてはいかがでしょう? コスプレの小道具(特に『中二病でも恋がしたい!』の小鳥遊六花が使う、シュバルツゼクス・プロトタイプMk-2)として使用する際は、周囲に気をつけてくださいね。

●水分補給と共に塩分も補給を
ホール内は蒸し暑く、汗をかいて喉が渇くので、水分補給には気を使ってください。また、ここで忘れてはならないのは、水分だけをとらないこと。汗にはミネラル分が含まれており、それも体から失われています。それを補わないと急性の低ナトリウム血症になり、最悪の事態では意識を失ったり、脳に障害が残ったりすることもあります。水分は補給しているのに指先がしびれ、感覚が鈍くなっていたら塩分(ナトリウム)が不足しているサイン。こうなったら「OS-1」などの経口補水液を摂取するのが有効です。そうなる前に、水分だけでなく塩飴や「熱中症予防」をうたった塩分配合のタブレット菓子を併用してください。

●携帯はあてにならない
10万人以上が限られた範囲に集中するという、他ではない状況になるコミケット。各携帯キャリアは移動基地局を設置してくれたりもするのですが、参加者による圧倒的な通信トラフィックの量に追いつかず、通話はおろかメールすらも満足に届きません。twitterや実況スレもありますし、今回からWebカタログが本格稼働し、スマホで閲覧しながら会場を回ろうとする参加者も多いと思われます。携帯で連絡を取るというのは「できたらラッキー」という位でいた方がいいでしょう。友達と別れ、後で合流する予定ならば、事前に時間と待ち合わせ場所を決めて、それに従って行動した方がいいでしょう。よく使われる待ち合わせ場所としては、エントランスホール(緑)・西展示棟アトリウム西1ホール側トイレ付近(青)・東展示棟ガレリア東1ホール側エスカレーター付近(赤)に、通称「青玉」「赤玉」などで知られる球形のオブジェ(正式名称は「大きなカラーボール」)があります。個人的に良く使うのは、終了後に待ち合わせるので、会場外側の会議棟下にあるファミリーマートの看板。もしくは混雑を避けて、会場を離れた別の場所(仲間内での打ち上げ会場そば)を待ち合わせ場所に設定しています。また、待ち合わせ相手が会場内の地理に精通していない場合もありますので、口頭で場所を伝えるだけでなく、念の為待ち合わせ場所に一緒に行き「この場所で◯時に待ち合わせ」と、相互に確認しておくといいでしょう。

ちなみに「赤玉」「青玉」の言葉が、会場内にあるオブジェを示すように定着したのは、コミケットが東京ビッグサイトに移転して数回開催された後(少なくとも1997年以降)のことでした。前回のサークル参加初心者向けとした記事で、以前は「赤玉」が「盗撮用に赤外フィルターをつけたレンズ」を示すスタッフ間の符牒だった、とした件ですが、これは赤い球形のオブジェが会場に存在しなかった晴海まで(~1995年)のことで、東京ビッグサイト移転以降、赤外フィルムを使用した盗撮自体も減った為、自然と使われなくなっています。「以前」というのがどれほど昔かを示さなかったので、不親切な表現だったかもしれません。

●コスプレのままで来場・帰宅しない
コスプレは会場内では「コミケットの華」ともいえる存在ですが、会場を離れると「異様な風体」になります。コスプレをする際は必ず会場内で登録の上、更衣室で着替えてください。帰る時も同様です。……以前、会場から女装コスプレ(ちなみに『サイレントメビウス』の香津美リキュール)のまま飛行機に乗ってきた人を見た時には、心臓が止まるかと思いました。

●暴走注意
原則として年に2回開催されるコミケットは、ある種「おたくの祭典」と目され、ハレの場となっています。それによって気分がハイになり、様々な方面で暴走しがち。これは「ちょっと位ならいいだろう」とハメを外すだけでなく、善意の暴走も含まれます。悪気がなくても、暴走した善意はかえって迷惑になる場合も。心はいくら大きくてもいいんですが、気が大きくなりすぎては困ります。無用なトラブルを避ける為にも、「控え目な位がちょうどいい」と心得て行動するといいと思いますよ。

●目的以外の場所も回ってみよう
現在は同人誌には目もくれず、企業ブースだけ回って帰る……という一般参加者も。企業ブース発足時にはなかなか参加企業が集まらず、スタッフがツテを頼って業界各社に頼んで回ったというのが嘘のような盛況ぶりです。午前中で会場を後にし、あとは秋葉原などを散策というパターンも定着しているようですが、ぜひ目的とは違うジャンルも回ってみてください。事前チェックしなかった場所を歩いてみることで、知らなかった作家さんや本を見つけたり、新しい出会いもありますよ。

 
――サークルブースでのマナー

●お金は千円札と小銭を多く
開会したばかりの時に、会計で一万円札など高額紙幣を出しても、サークル側で釣り札が足りず対応できない場合があります。また、会場ではしばしば高額紙幣を使った「釣り銭詐欺」の被害が報告されており、サークル側で慎重に対処しているケースもあります。無用の負担を与えない為にも、あらかじめ千円札や小銭を多く用意しておきましょう。

●同人誌を手に取る際は丁寧に
同人誌を手に取る際は、サークルの人に「見せてください」とひと声かけましょう。返す時も「(見せてくれて)ありがとうございます」と一言添えるとありがたく感じます。……というのも、中には無言で同人誌を手に取って、中身をチェックしてるフリをしながら本を持ったまま、いつの間にか消えてるケース(要するに窃盗ですね)もあったりするからなのです。一生懸命作ったものなので、取り扱いも丁寧にしてくださいね。また、手に取られている間、サークルにとっては、自分達が作った本を審査されているようで、内心緊張していたりします。何か言葉をかけてくれるとありがたいですし、作品内容について質問などがあれば嬉しいので、積極的に声をかけてみてください。手に取ったら、会話したら絶対その本を買わなきゃいけない、という訳ではないので、ぜひ。

●disらない
自分が好きではない他の作品や、他の参加者をその場ではdisらないようにしましょう。どこで誰の耳に入るか判りませんし、その作品を送り出した人や、その作品が好きな人にとってはつらいことです。また、コスプレの衣装も、市販のものではなく自作して、技術がつたなくてイマイチの出来だったりすることもあります。少なくとも「作品に対する愛情の発露」であることは確かなので、その場では控えましょう。……ただ、中には「流行ってるジャンル(作品)だから」と、安易にやってる人もいたりするのが難しいところですね。

 
――今回の開催日程でのその他の注意すべき点

●花火に注意
コミケット初日(8月10日)には「第25回東京湾大華火祭」が、お台場の対岸、晴海を中心にした東京ベイエリアで開催されます。この花火大会、1988年に開催された第1回もコミケット初日と重なった(しかもこの当時のコミケット会場は晴海で、相互の会場が隣接)という、ある意味コミケットとは縁の深い(業の深い?)イベントです。この時は晴海会場に隣接した準備会スタッフの宿舎で、スタッフ達と花火を眺めた思い出もありますが、現在気をつけなければいけないのは、レインボーブリッジをはじめとして交通規制が実施されることと、ゆりかもめなどの交通機関が混雑すること。ゆりかもめは昼間でも、フジテレビのイベント「お台場合衆国」に来場する人とコミケット参加者が一緒になって混雑することがあるので、花火に限ったことではありませんが……。今年の交通規制についてはまだ発表がありませんが、例年18時を基準に晴海方面に向かう道路やレインボーブリッジ(上段の首都高速は18時30分、下段の一般道は16時から規制)の通行ができなくなります。これについては東京都中央区のページ(http://www.city.chuo.lg.jp/ivent/toukyouwanndaihanabisaimeinn/)を参考にしてください。

また、花火大会ということもあって、ビッグサイト周辺にもカップルが多く見受けられるようになります。内心で花火と共に「リア充爆発しろ!」と思うことは自由ですが、くれぐれも口に出さないようにしてくださいね。……かつてコミケット後に花火を見ようと、晴海主会場の入場整理券(1枚2人分)を取ったら友達が集まり過ぎ、結局コミケットの打ち上げを優先して通りがかりのカップルに整理券を譲ったことがありましたっけ……。

 
――最後に……皆に考えて欲しいこと

●「常識」を疑え
1975年に第1回(32サークル・推定参加者700人)が開催されて、既に40年近くの歴史を持つコミケット。その7割ほどの年月参加しているかと思うと、我ながら驚きです。昔は「同人活動は学生時代までの楽しみ」という感じだったのでですが、今や規模も遥かに大きくなって、サークル参加者も社会人が主流になり、3世代で参加する人もいるようになりました。これによって、大きな共同体のようだったコミケットも世代間や参加者間のギャップが広がり、同床異夢のような状態になっています。ですから、自分達が「常識」と思っていることも、実は全参加者に共通している「常識」ではないかもしれません(だからこそ、こういう記事が成立する訳です)。常識より、むしろよりどころとなるのは「良識」です。できれば「狭い常識」よりも良識に従って行動した方が、他の人と変な軋轢を生まないかもしれませんよ。

●「なぜ」を考えよう
コミケットに限らず、様々なルールがありますが、ルールができるには、必ず「きっかけ」があり、そこに至るまでの「いきさつ」があります。単純にルールに従うのではなく「なぜそうなったのか」を考えてみてください。根本を理解し、対処すればよりよい対応になると思います。

 
コミケットは基本的に、分別ある大人が自主・自律の下に参加するイベントです。何でも自己解決しろという訳ではありませんが、なるべく自分の頭で考え、判断し、判らないことはスタッフなど判る人に訊いて、素敵な時間を過ごしてくれるといいな、と思っています。皆さんに、素敵な出会いのありますことを。

(文:咲村珠樹)

【宙にあこがれて】第34回 救難飛行艇US-2の実力

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海上を飛ぶUS-2こんにちは、咲村珠樹です。先日、ヨットによる太平洋横断中に遭難した、ブラインドセーラーとテレビキャスターを救助した海上自衛隊の救難飛行艇、US-2。改めて「海上自衛隊は救難用に飛行艇を持っている」ことが知られるようになった訳ですが、今回はこのUS-2について少々ご紹介しようと思います。

【関連:第33回 対戦車道、やってます!~第41回・木更津航空祭~】

海上を飛ぶUS-2


US-2は新明和工業が製造する国産の水陸両用飛行艇です。US-2の最大の特徴、それは波高3mの水面でも離着水できるということ。通常、飛行艇は湖や湾内など、波のほとんどない穏やかな水面で運用されるもので、外洋など波の高い場所で離着水するものではありません。しかしUS-2は、初めから「波の高い外洋で運用する」ことを前提として作られた飛行艇なのです。

陸上で運用されるUS-2 海に着水したUS-2

何故US-2はそんな性能を持っているのか。これについては、原点となる新明和工業製の対潜哨戒飛行艇、PS-1からお話しすることにしましょう。

新明和工業の前身は川西航空機という会社でした。川西航空機は、中島飛行機設立時の出資者だった実業家、川西清兵衛(日本毛織など川西財閥の総帥)が設立した航空機製造会社で、特に水上機を得意としたメーカー。代表作として九七式飛行艇(九七式大艇)や二式飛行艇(二式大艇)、水上戦闘機「強風」(陸上機型が紫電・紫電改)などがあります。

PS-1の開発が始まったのは、戦後のGHQによる航空禁止令が解除された直後の1953(昭和28)年。飛行艇など水上機メーカーとして知られていたこともあって、新明和工業は飛行艇で航空機製造に復帰することを決めます。当時主流だった機体(九七式飛行艇とほぼ同時期に作られた、イギリスのショート・サンダーランドやアメリカのコンソリデーテッドPBY「カタリナ」、そして戦後作られたグラマンHU-16アルバトロス)にない、波が高くても運用できる性能を目指すことにしました。

設計主任となったのは菊原静男。上記の川西航空機の代表作を手がけた名技術者で、YS-11の開発(第29回「YS-11の半世紀」参照)にも参画した人物です。技術実証用の実験機UF-XSを経て、1967(昭和42)年に原型機が初飛行に成功。翌1968年に実施した荒海試験では最大波高4mを記録する中、みごと離着水に成功しています。1970(昭和45)年、海上自衛隊の対潜哨戒機PS-1として制式化されました。

対潜哨戒機PS-1の任務は、海面に着水して有線吊り下げ式のソナー(ディッピングソナー)を使い、潜水艦を探知すること。波の高い外洋に着水するのを前提として運用される訳です。波が高い水面に着水するには、機体への衝撃を和らげる為、できる限り速度を落とす必要があります。この為、低い速度でも失速しないよう、フラップなどの高揚力装置の性能が高められており、副次的な効果として短距離離着水も可能になりました。

ところが、PS-1開発当時は信頼性が低かった無線式のソナー(ソノブイ)の性能が上がり、わざわざ海面に降りなくても潜水艦を探知できるようになりました。ソノブイはたくさん撒いて面的な探知が可能な為、一カ所でしか探知できないディッピングソナーより探知範囲が広がり、効率的に哨戒ができます。そうなると、対潜哨戒機は海面に降りられる飛行艇である必要がなくなり、新しい対潜哨戒機P-3C(現在主力の陸上機)導入を契機にPS-1は1980(昭和55)年に調達が打ち切られてしまいます。

対潜哨戒機としては短命に終わったPS-1ですが、これを汎用化して救難飛行艇にする企画が持ち上がり、1974(昭和49)年に初飛行したのがUS-1です。日本は海に囲まれており、広い海洋で遭難者を捜索・救難したり、離島での傷病者を医療設備が整った場所へ移送するのに、外洋でも離着水できる飛行艇は最適なものでした。

救難飛行艇US-1は、エンジン出力を増強した改良型のUS-1Aを含め、2005(平成17)年までに20機が製造され、海上自衛隊に納入されました。

このUS-1Aを大幅に改良し、2003(平成15)年に初飛行したものがUS-2です。形の上では改良開発なのですが、ほとんどが再設計された別個の機体なので、新たにUS-2という名がつけられました。海上自衛隊では、2007(平成19)年から配備されています。

海に着水するUS-2

US-2の特徴をご紹介しましょう。まずはUS-1Aより高出力のエンジンとなり、プロペラも3枚ブレードから6枚ブレードになりました。推力向上に伴ってプロペラは小径化され、より波の飛沫をかぶりにくくなりました。飛沫がかかるとプロペラの効率が下がり、推力減少に繋がるので、なるべく飛沫がかからないことが重要。もし飛沫が付着した際は、ブレードにアルコールを吹き付け、除去する装置も装備しています。

救難飛行艇US-1A 6枚プロペラと波消し装置が特徴

そして、US-1Aまでは低空で飛行する対潜哨戒機の特徴を受け継いで、機内は予圧されていなかったのですが、救難専用となった為に機内が予圧されるようになりました。これにより、搬送される遭難者や患者の快適性が向上し、容態の悪化を防ぎやすくなります。

また、空気抵抗の少ない高い高度で飛行することができるようになり、より速く・より遠いところまで進出できるようになりました。燃料搭載量が増えた関係もありますが、具体的には、現地で2時間捜索するという前提で、US-1Aでは半径1500kmの行動半径だったのが、US-2では1900kmと行動半径が拡大しています。これは東京を基準とすると、日本最東端の南鳥島、日本最南端の沖ノ鳥島まで行ける距離。日本中どこでも行けると言っても過言ではありません。

この他にも自動操縦装置やデジタル計器(グラスコクピット)化、コンピュータを介在させた操縦システムであるフライ・バイ・ワイヤ、夜間でも捜索可能な赤外線探査装置(FLIR)を新たに採用、航法システムや波高計も最新のものになっています。機体構造も一部に炭素繊維複合材(CFRP)を採用して軽量化されました。

US-1Aから受け継がれた技術としては、波の飛沫をコクピットやプロペラ、エンジンにかけない為に、溝型波消し装置(チャイン)や、スプレー・ストリップがあります。機体の底部(艇体)が押しのけた水を下や横に受け流し、上に跳ね上げない構造です。

溝型波消し装置の構造

また、圧縮空気の吹き出しによって翼を流れる気流を制御し、揚力を増すBLC(境界層制御)装置を装備。これにより、時速約90kmという極低速での飛行が可能になり、離着水時の波による衝撃を緩和しています。副次的に離水距離約280m、着水距離約330mという、狙ったところに降りられる短距離離着水性能をも得ました。ちなみに陸上では離陸距離約490m、着陸距離約1500mとなっています。

▼US-2の超低速飛行(US-2の超低速飛行。時速およそ90km。):http://www.nicovideo.jp/watch/1373616969

▼着水するUS-2(11日):http://www.nicovideo.jp/watch/1355120070

現在は5機が、2機のUS-1Aと共に山口県の岩国基地にある海上自衛隊の第71航空隊で運用されており、神奈川県の厚木基地にも分遣隊として、常時1機は任務に備えて待機しています。実際の救難捜索ではP-3Cとペアで出動し、速度の速いP-3Cが先行して捜索を開始し、US-2が着水して救助するという手法をとっています。

先日のブラインドセーラーとテレビキャスターを救助した事例(金華山沖1200kmの海上)では、たまたま厚木に2機来ており、最初の機が着水を断念して引き返しても、次の機がリレーすることが可能でした。また、波高が3mを超える状態でもあったようですが、うまく間隙を突けたようですね。着水にあたっては波の高さだけでなく、波の間隔(波長)も大きく関係しており、パイロットは波長が機体の何%なのかという部分でも、着水技量資格が決められています。機長(海上自衛隊では、必ずしもパイロットが機長ではなく、全体の指揮をとる航空士が機長となります)の判断とパイロットの腕が最高レベルにあったということなんでしょうね。

また、離島での急患搬送にも力を発揮します。小笠原諸島では、硫黄島と南鳥島(どちらも一般住民はいません)を除いて飛行場がなく、通常の交通機関は船だけ。その為US-2とUS-1Aは頼りにされています。父島には飛行艇が上陸できるスロープがあり、厚木から飛来したUS-2・US-1Aは、ここで患者を収容して羽田空港へ搬送するというのが一般的なパターン。2013年6月には4件の搬送事例(7日・15日・22日・28日)がありました。

このUS-2の機体規模・性能は、現在運用されている他の飛行艇(カナダのボンバルディエCL-415や、ロシアのベリエフBe-200など)を上回るものです。US-1Aは、前身が対潜魚雷や爆弾などの攻撃兵器を運用する対潜哨戒機だったので、武器輸出三原則に抵触しましたが、US-2は最初から救難用に特化して設計された機体なので、三原則緩和の流れもあわせて、民間転用して海外輸出が可能ではないかと考えられています。

2009(平成21)年5月、フィリピンで開催された「ASEAN地域フォーラム災害救援実動演習」に海上自衛隊からUS-2が参加し、マニラ湾に着水して遭難者を救助する……という想定で活動して、各国から高い評価を得ました。現在インド政府と導入に向けての交渉が準備段階に入っており、他にも興味を示している国があるといいます。

現在、海上自衛隊における救難飛行艇の定数は7機となっており、年平均の生産数はUS-2の場合わずか0.42機(12年間で5機製造)となっています。これだけの性能を持った飛行艇が、わずかな国内需要だけで終わるのはもったいないですよね。離島の多い国はたくさんあるので、そこで必要とされるならば活躍してほしい、と願ってやみません。問題は、生産数が少ない為に機体価格が高価なこと。さすがに世界の飛行艇需要も多くはないので、大きさが手頃なボンバルディエのCL-215やCL-415(合計で150機)ほど売れるとは思いませんが、リース契約なども駆使して海外に普及できるといいのですが……。

(文:咲村珠樹)

【建物萌の世界】第24回 終着駅(ターミナル)の面影

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上野駅全景こんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」でございます。「終着駅」という言葉は、どことなく旅情を感じさせる言葉ですね。今回は7月28日に開業130周年を迎える、日本を代表する終着駅のひとつへと行ってみましょう。

【関連:第23回 万世橋の思い出】

上野駅全景


東京都台東区にあるJR上野駅。今から130年前の1883(明治16)年7月28日、当時私鉄だった高崎線(上野~熊谷。高崎まで全線開業したのは翌1884年)のターミナルとして開業しました。上野台地に寄り添うようになっているこの場所は、明治維新まで寛永寺の僧坊があり、後に官有地となっていた土地。周囲の下谷区議会議事堂や、小学校の移転した跡地なども含めて駅施設が作られています。三村周の設計による駅舎は諸般の事情で完成が遅れ、1885(明治18)年7月まで、仮駅舎(荷物取扱所の一部を旅客用に転用)のまま営業を続けていました。

レンガ造2階建の洋館だった初代駅舎は、関東大震災で発生した火災で焼失してしまいます。1932(昭和7)年、鉄道省の技師である酒見佐市と浅野利吉の設計により再建されたのが、現在の2代目駅舎です。再建まで年数がかかったのは、震災以前から路線が集中し、昇降客が増えすぎていた(この当時から「ラッシュ」という言葉が使われていた)為に、駅自体の改良工事も平行して行ったこと、震災復興計画で駅の正面に昭和通りが新たに開通する(1928年)のを待っていたことも影響しています。

上野駅を表現するキーワードとして「立体構造」というものがあります。まずは路線。東北方面を結ぶ長距離の列車線は、東京駅に余裕がない為に地上行き止まり式のホームに、そして山手線など、近郊を結ぶ電車線は東京駅方面に直通させるよう高架とし、ホームが二層構造になりました。その高架線は立地を利用し、上野の山の崖を削ってスペースを捻出しています。これと同時に、駅の正面入口も車など他の交通への連絡を考慮し、乗車口を上段、降車口を掘り込んだ下段に設ける二層構造としました。また、1927(昭和2)年に開通していた東京地下鉄道(現:東京メトロ銀座線)とも地下で連絡するように作られています。

乗車口と降車口を分ける発想は、完成当時の東京駅と共通しており、多くの乗客をさばくには理想的だと思われていたようですね。現在では逆に乗客を分けることで混乱する為か、かつての乗車口である上の入口のみを「正面玄関」として利用しており、降車口だった下の入口は業務用の搬入口になっています。

上野駅正面玄関

一見シンプルなラインを持つモダンな駅舎ですが、窓や上部にあるパラペットには植物モチーフの装飾が見られます。正面の上下に走る窓枠は曲面になっていますが、広小路口(実は駅開業当初から、正面より広小路口の利用者の方が多い)は平面的でシンプルな形になっています。

窓部アップ パラペット部アップ
広小路口の窓装飾

玄関の左右に付けられた灯具は、和風のモチーフをまとっています。上部のドーム状になった部分の唐草模様がリズミカルです。

正面玄関の灯具

正面玄関を入ると、吹き抜けの出札ホールが広がります。2002(平成14)年に大改修され「アトレ上野」がオープンするまで、こちら側にきっぷ売り場がありました。現在きっぷ売り場は隣接するコンコース側に移動していますが、券売機の裏手である出札事務室は、今も一部が利用されています。

吹き抜け

吹き抜け部の漆喰装飾は、2002年の改修時に美しく修復されています。

吹き抜けアーチ部の装飾 吹き抜け天井部の装飾

現在、2階の事務室はレストランに転用され、昔は見上げるだけだった入口の装飾を間近に見られます。

2階レストラン入口の装飾

出札ホールを抜けると、鉄骨による骨組みが美しい、広いコンコース(待合広間)が広がります。現在は透光性の幕になっていますが、改修までは天窓のある屋根となっており、完成当時は真ん中に時計塔と円形の案内カウンターが設置されていました。中央改札口の上には1951(昭和26)年12月、猪熊弦一郎の壁画「自由」が加わっています。

中央改札コンコース

中央改札口横の階段を見てみると、昭和初期のモダンデザインを残す親柱と手すりを見つけることができます。

内部階段の親柱

また、広小路口を入ったところには、赤帽の詰所がありました。赤帽(ポーター)は乗客の荷物を代行して列車まで運搬する人で、上野駅では1898(明治31)年から2000(平成12)年まで営業していました。また、隣接して両替商(手数料を取って両替をするお店。銀行の原型)も平成になる頃まで営業していました。両替商の窓口は営業が終了しても残っていたのですが、改修されて「アトレ上野」になった際、店舗スペースとなっています。

広小路口赤帽・両替店跡

上野駅は現駅舎の完成後、列車の発着本数や乗降客が増えた為に、主に高架のホームが増やされました。当初は1~9番線(4面9線)までが高架、そして地上が3面9線という構成だったのですが、高架ホームが3線(現在の10~12番線)増やされ、地上ホームの上に載る……という形に。中央改札口を入ると、地上のホームの上に高架ホームが重なる「立体構造」がよく判ります。

高架ホームとの重なり具合

東北方面からの長距離列車が発着する行き止まり(頭端)式のホームには、それぞれ列車で輸送する小荷物を取り扱う「荷役ホーム」が4面、併設されていました。これらは列車による荷物輸送の取り扱いが減ったこと、乗降客が増えた為にホームを拡幅する必要が出たことで相次いで廃止され、現在残るのは13番線と14番線の間にある1面だけとなっています。しかも現在は使用されていません。この部分は、昭和初期のターミナルであった上野駅を今に残す貴重な遺構となっています。

13・14番線間にある荷扱ホーム

さて、行き止まり式の地上ホームは、まるでヨーロッパの駅のような構造で旅情を誘うのですが、機関車が牽引する列車にとっては難題です。行き止まりで機関車を付け替えるスペースがない為、車両基地から機関車が牽引してくる訳にはいきません。車両基地への行き来は、機関車が編成の後端となり、バックで運転する「推進回送」というものを行う必要があります。

後ろから押す形になる機関車からは前が見えないので、先頭になる客車に前方監視と非常時のブレーキを操作する推進運転士が乗り込むという形で運転。これは上野駅名物の光景として、鉄道ファンには知られています。現在、機関車が牽引する定期の客車列車は、札幌行きの寝台特急「北斗星」、青森行きの寝台特急「あけぼの」の2本のみ(他に札幌行きの寝台特急「カシオペア」など臨時列車)。見る機会は減っていますが、バックでそろりそろりと入線し、規定の場所にピタリと停車するのは見事で、一見の価値ありです。

推進運転で入線するあけぼの

建物だけでなく、駅の構造にも見どころのある上野駅。開業130周年となる7月28日からは、寝台特急が発車する13番線の発車メロディが、井沢八郎さんのヒット曲「あゝ上野駅」になります。これを機会に、駅自体を見て回るのもいいかもしれませんね。

(文:咲村珠樹)

【宙にあこがれて】第35回 脚なんて飾りです!?

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接地時にタイヤから上がる煙.こんにちは、咲村珠樹です。飛んでいる飛行機にとって「必要ないけど必要なもの」って何でしょう? ……というなぞなぞが成立するほど二律背反するもの、それが降着装置です。今回はこの降着装置についてのお話です。

【関連:第34回 救難飛行艇US-2の実力】


降着装置とは、着陸時や地上にいる時に機体を支える仕組みです。英語のランディングギア(Landing Gear)を訳したもので、単に「ギア」とか「脚」と呼ばれることが一般的ですね。航空機の設計者にとっては頭を悩ませるものでもあります。

というのも、飛んでいる時には全く必要のないもの、いわば「飾り」でありながら、着陸時の衝撃に耐えて機体を支えなければいけないからです。着陸時の衝撃に耐えるように丈夫に作れば重くなり、余計な機体重量になってしまいます。また、出しっぱなしにしていると空気抵抗が大きく、高速で飛ぶ際には邪魔になります。できれば機体内部に格納してしまうのがベストですが、この格納装置も余計な重量の元に。……という訳で、設計では降着装置を「可能な限り軽く、そして十分な強度を」という、相反する要素を両立させたギリギリのラインを狙うことになるのです。

最初に動力飛行を果たしたライト兄弟の「ライトフライヤー」は、降着装置としてソリを使っていました。これは砂浜であるキティホークを前提としていたからで、硬い地面に降りることは想定していませんでした。現在では舗装された滑走路をはじめ、ある程度硬い地面の上で飛行機は運用されているので、雪上などごく一部の例外を除いては車輪式の降着装置を使っています。

垂直に離着陸し、滑走することがないヘリコプターの場合は、簡便な為に現在でも小型の機体でソリが使われています。ただし、地上を移動させる際には、ソリの下に車輪を取り付けないと動かすことができません。この為、ある程度大型の機体になると、ヘリコプターでも車輪式の降着装置が採用されています。

ソリ式の降着装置を持つR22 車輪式の降着装置を持つAW109

飛行機で「最大離陸重量」というのを聞くことがありますが、これは陸上で降着装置が機体を支え、エンジンの出力や定められた滑走路の長さで離陸させられる最大限の重量ということ。これと同時に「最大着陸重量」というのも設定されています。これは降着装置が着陸の衝撃に十分耐えられる最大限の重量で、多くの場合最大離陸重量よりも軽く(国際線仕様のB747-400の場合、最大離陸重量より約100トン)設定されています。

飛行中にトラブルが発生して着陸しなければならなくなった時、なかなか着陸しないで周辺を周回することがありますが、これは機体重量が最大着陸重量を超過している為に、燃料を消費して機体を軽くしているんですね。燃料の流量計などで燃料消費率は計算できるので、どのくらいの時間飛べば機体が軽くなるかが判ります。慌ててそのまま着陸すると、衝撃に耐えきれずに降着装置が損傷し、更なる大事故に繋がってしまうので、焦らず機体重量を計算しているという訳です。緊急性が高い場合には、燃料を空中に投棄する場合もあります……燃料は霧状になって揮発してしまうので、地上にそのまま降り注ぐということはありません。

同じくらいのサイズであっても、陸上のみで運用される機体と、空母などで運用される艦上機では、艦上機の方が丈夫な降着装置を持っています。これは艦上機の場合、使えるのは空母上のわずか200m程度の範囲、それも着艦フックを引っ掛けるワイヤが設置された数十メートルの場所を狙って降りる為に、どうしても急角度に降下せざるを得ず、その分衝撃が大きくなってしまうからです。通常の滑走路で「この辺りで車輪を接地させてくださいね」という指示のついた接地帯の長さが、2400m以上の滑走路では空母の飛行甲板の2.5倍ほどの長さだったりするので、着艦のシビアさが判ります。

F-15Jの主脚 F/A-18Eの主脚

大型機になると、それなりに降着装置や車輪も大きくなります。……といっても整備上の限度があるので、ある一定の大きさに達したら車輪の数を増やして重量分散を図る、ということになります。特に輸送機は多くの車輪が並んで壮観です。

米空軍C-5輸送機の主脚

装着されているタイヤも非常にシビアな状況で使われています。通常のジェット機の場合、着陸時の速度はおよそ時速250kmくらい。接地するまでタイヤは回っていませんから、接地した瞬間に時速250kmで回り出し、すぐさまブレーキをかけられる訳です。例えるなら、F1マシンのフルブレーキをずっと行っているようなもの。着陸する飛行機を見ていると、滑走路に接地した瞬間にパッと白い煙が上がるのが見えますが、あれはタイヤのゴムが蒸発してできる煙です。

接地時にタイヤから上がる煙

また、ブレーキは多板式ディスクブレーキが使われており、現在はF1同様高温での効きがいいカーボン製のブレーキディスクが主流。また、ブレーキがロックしない為のアンチスキッド(ABS)は、飛行機用に開発されたものが自動車の世界に応用されたものです。現在では便利な自動ブレーキシステムがついており、事前に減速率を設定しておけば、滑走路に接地して車輪が回り始めたら自動的に設定通りの減速率になるよう、グランドスポイラー(エアブレーキ)と車輪のブレーキが作動してくれる仕組み。パイロットは方向維持と逆噴射の操作に専念できるようになっています。

ジェット旅客機で使われているタイヤは、1日6~7回の着陸をこなすとして、だいたい1ヶ月~1ヶ月半程度ですり減ってしまい、交換するようになっています。

すり減ったタイヤ

このすり減ったタイヤは工場に送られ、トラック用タイヤで見られるようなリトレッド(接地面に新たなゴムを接着する再生作業)が行われ、数回はリサイクルされています。よく見てみると、グッドイヤーの上にミシュランがリトレッドされていたりと、他メーカーのタイヤがリサイクルされているケースもあって面白い部分です。

グッドイヤーにミシュランをリトレッドした例

飛行機の中では普段注目されることの少ない降着装置ですが、様々な知恵と努力が詰まっているんですよ。

(文・写真:咲村珠樹)

【建物萌の世界】第25回 『青い花』の学び舎

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鎌倉文学館全景こんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」。今回は久々に、まんが・アニメに絡めて建物を紹介しようと思います。

鎌倉市長谷にある鎌倉文学館は、先頃9年間に渡る連載が完結し、間もなく最終巻が発売される志村貴子さんの名作『青い花』で、主人公の一人である奥平あきら達が通う「藤が谷女学院」として登場することでファンから知られています。

【関連:第24回 終着駅(ターミナル)の面影】

鎌倉文学館全景


元々この建物は、旧加賀藩主である前田侯爵家の第16代当主、前田利為(まえだ・としなり)が別邸として1936(昭和11)年に建てたもの。設計したのは渡辺栄治、施工は竹中工務店です。全体のイメージは青いスペイン瓦に切妻屋根と、いわゆるスパニッシュ・コロニアル様式のような感じですが、装飾などディテールの面ではむしろチューダー様式。しかも和洋折衷的なデザインラインも見えます。スパニッシュもチューダーも、戦前の邸宅で流行した建築様式なので、当時流行していた要素を色々取り込んだと言っていいでしょう。完成後、この場所にかつてあった長楽寺にちなみ「長楽山荘」と命名されています。

長楽山荘の表札

施主である前田家16代当主前田利為は、駐英大使館附武官や太平洋戦争でボルネオ守備軍の司令官などを務めた陸軍の軍人で、士官学校で同期だった東条英機とソリが合わなかったことでも知られています。利為は1942(昭和17)年、ボルネオ沖で戦死しています。残された家族は後に、駒場にあった本邸からこちらの鎌倉別邸に移り、生活しています。

戦後、家族は敷地内の別の場所に新たに居宅を建てて移り、空いたこの別邸はデンマーク公使や佐藤栄作元首相が別荘として借り受けていた時期もありました。三島由紀夫は最後の長編小説『豊饒の海』の第1巻「春の雪」執筆に際してこの建物を取材し、松枝侯爵の別荘として作中に登場させています。

その後1983(昭和58)年7月に、この建物は17代当主である前田利達(まえだ・としたつ)から鎌倉市へ寄贈されました。以前より文学館の建設を検討していた市は、この建物を改装・増築(庭と反対側の面に倉庫や事務室、企画展示室など)し、1985(昭和60)年11月に鎌倉文学館としてオープンしたのです。2000(平成12)年4月には、国の登録有形文化財にもなりました。

建物は鎌倉に多く見られる谷戸(丘陵地が浸食されてできた谷間)の中腹にあり、来訪者は木が生い茂る坂道を登っていくことになります。途中には外界と隔てる門のような石造りのトンネル「招鶴洞(しょうかくどう)」があり、俗世間から離れてリラックスできる場所、としての性格をこの別邸が持っていることがよく解ります。

招鶴洞

坂を登ると建物が見える訳ですが、この角度からだとバックに木立も見え、いかにも「山荘」という雰囲気。

坂の途中から

庭から見ると2階建てに見えますが、生け垣に隠された部分にもフロアがあり、実際は3階建て。斜面に建っていることもあり、玄関は2階部分で1階には階段で降りるような構造になっています。半地下のようになっている1階には厨房や倉庫などのサービス空間が集中し、生活空間は2階と3階……と使い分けがなされていたそうです。建築構造面でも1階のみ鉄筋コンクリートで、2、3階は木造と複合的です。

庭園から見た全体のデザインとしては、切妻屋根の左右に六角形の張り出しを設け、さらに2階の庭に面した部分全体にテラスを付けて、真ん中の階段から庭へ降りられるようにもしています。また、左側部分の3階は、どことなく和風のシンプルな雰囲気。

庭側のディティール 左側3階はどことなく和風のイメージ

旧居間兼応接間(現在の常設展示室)のマントルピースに繋がる煙突は、スクラッチタイルでデザイン上のアクセントがつけられています。全体のフォルムはスパニッシュ様式。現在はマントルピースが使われていない為、異物が入らないように開口部はレンガで塞がれています。

煙突

窓にはステンドグラスが使われています。いわゆる絵画的なものではなく、壁紙のようなパターン。

2階窓のステンドグラス 3階窓のステンドグラス

2階テラス部分にある照明はどことなく愛らしいデザインです。

2階テラス部の照明

玄関ポーチ部分は東洋的な雰囲気を持っています。天井から吊り下げられた灯具も、大陸的なデザイン。

玄関ポーチ ポーチ部の灯具

雨樋には唐草模様の装飾があります。

雨樋の唐草模様

ポーチには水場があります。釉薬のかかったスクラッチタイルに、装飾タイルの壁面、そして水槽部分のタイルの配色が良いコントラストを見せています。床面のタイルも文様が凝っていて飽きません。

玄関ポーチの水場

そして、玄関周辺は見事にチューダー様式。いわゆる「チューダー文様」や、柱などに施された釿(ちょうな)による「なぐり(名栗)仕上」など、特徴的な荒々しくも暖かみのあるモチーフが満載です。

玄関上部のチューダーモチーフ 扉は典型的なチューダー様式

『青い花』はいわゆる「百合まんが」に分類される作品ですが、鎌倉文学館の庭園は200株以上が植えられたバラ園で知られています。春と秋に咲くのですが、特に春(5月中旬~6月)には「バラまつり」を開催しています。もちろん、庭園には他の花々もたくさん植えられており、ユリもありますよ。

庭園のバラ

また、東京・駒場公園にある前田家の本邸も、洋館の外部は藤が谷女学院の図書館棟、内部は校舎内装のモチーフになっていますし、和館の方は杉本恭己の家のモデルとなっています。洋館の庭園に面した部分は最終回、井汲京子と澤乃井康の結婚式シーンにも登場していました。

駒場の前田邸洋館 前田邸洋館の庭園側
駒場の前田邸和館

個人的には、他人とは思えないふみやあーちゃんなど魅力的なキャラ、志村さん独特のしなやかな線や空気を感じさせるコマ割り、「あーちゃん、起きなさーい」で始まりあーちゃんとふみが「おはよう」と言い合って終わる全体構成など、原作だけでなくアニメ版を含めて、たまらなく『青い花』が好き(アニメOPの空気公団も以前からのファン)だったりするのですが、この鎌倉文学館も作品に負けず劣らず、好みが散りばめられた素敵な建物です。もし『青い花』聖地巡礼をされる際は、建物自体も堪能することをお勧めします。

(文・写真:咲村珠樹)


【宙にあこがれて】第36回 「風の谷のナウシカ」のメーヴェ作ってみた ~OpenSky 3.0~

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M-02Jこんにちは、咲村珠樹です。アニメやまんがに登場する飛行機に乗ってみたい、と思ったことはありませんか? 現在東京・秋葉原で、そんな夢を現実のものとした展覧会が開かれています。今回はその展覧会「OpenSky 3.0」をご紹介します。

【関連:第35回 脚なんて飾りです!?】

八谷さんの著書


この展覧会で展示されているのは、宮崎駿さんの作品『風の谷のナウシカ』に登場するメーヴェに着想を得た飛行機。「PostPet」の開発者として知られるメディアアーティスト、八谷和彦さんによる「自分が乗ってみたいと思う飛行機を作って空を飛ぶ」というプロジェクト「OpenSky」によって生み出された機体です。これは宮崎駿さんやスタジオジブリなどと関係はなく、八谷さんや所属する株式会社ペットワークスが独自に「メーヴェのような機体が、現実に人を乗せて飛行可能である」ことを実証するものです。

会場となっているのは秋葉原、地下鉄末広町駅近くにある、旧練成中学校(2005年3月閉校)の校舎を利活用したアートセンター「3331 Arts Chiyoda」。

会場の3331ArtsChiyoda

会場入口で出迎えるのは、試験飛行の際に風向を示す器材として利用している、岡本太郎デザインの鯉のぼり「太郎鯉」。飛行場に設置されている吹き流しと同じ役割を果たすものです。

太郎鯉

特筆すべきことなのですが、この展覧会は動画を含めて「撮影可」であること。展示されている動画作品の全編を動画撮影することを除けば、ほとんどの展示を自由に撮影できます。

撮影可の表記

さて、この「OpenSky 3.0」の主役は、パーソナルジェットグライダー「M-02J」。メーヴェの機体コンセプトを参考に、1人乗りの機体として制作された飛行機です。八谷さんはかつて、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』に登場するホバーボードを実際に作ってみる「エアボード」シリーズを世に送り出していますが、今回の「OpenSky」プロジェクトも同じ「フィクションに登場するものを実現する」というコンセプトの延長線上にあるものだそうです。

M-02J

八谷さんの作品には、この会場に展示されている「Fairy Finder」シリーズなど、ちょっとした仕掛けを通して「見方を変えると、世界はこんなにも変わる」ということを示唆するものが多く見られます。「OpenSky」は、フィクションのものを実現するだけでなく、みんなができっこないと思っている「自分の作った翼で空を飛ぶ」ことを、実はできるんだよ、と証明するプロジェクトでもあるのです。

OpenSkyプロジェクトが始まったのは2003年。まずメーヴェのようなデザインをした飛行機(分類上は無尾翼機といいます)が実際に飛ぶのかを探る為、模型を飛ばしています。実際に飛んだものの、模型と人が乗る実機では違う部分が多い(模型の場合は小さく軽い為、多少設計が甘くてもエンジンの力で強引に飛べてしまうケースがあります)ので、やはりノウハウを持つ専門家に実機の設計を依頼することに。どのような人に依頼すべきかと検討していたところ、八谷さんはネットで四戸哲さん(有限会社オリンポス代表)という航空機設計者の存在を知ったといいます。

四戸さんは日本大学出身で、日本初の無尾翼グライダー「萱場HK1」を設計した、木村秀政(航研機やYS-11で知られる。HK1のノウハウはロケット機秋水の設計にも活かされた)の薫陶を受けた人物。オリンポス設立時も、木村秀政が顧問として参加しています。四戸さんの手により、メーヴェの翼(メーヴェの翼平面形は、元々1910年代の飛行機、エトリッヒ・タウベに似ている)をイメージしつつ、現実的に飛行可能な機体としてデザインされた「M-01」が誕生。これは2005年に開かれた「愛・地球博」のグローバルハウスで展示されました。

翌2006年、機体の空力特性を検証し、操縦者が訓練する為の初級滑空機(ゴム索曳航機)「M-02」が誕生。2013年には自力で飛行可能なジェットエンジン付きの機体「M-02J」が完成しています。M-02JはM-01の主翼を流用(内部構造の一部改設計などを実施)して制作されました。現在、会場に展示されているM-02は、金沢21世紀美術館の収蔵品となっています。

初級滑空機M-02

M-02Jが搭載するのは、オランダのAMT(Advanced Micro Turbines)Netherlands製「Titan E-start」。最大推力40kgfの1段遠心圧縮式ターボジェットエンジンで、大型飛行機模型や、NASAによるブレンデッドウイングボディの無人実験機X-48C(ボーイング製)にも使われているものです。一般的にジェットエンジンはレシプロ(ピストン)エンジンに対し、操作に対するエンジン出力の反応が遅くなる傾向がありますが、このエンジンは反応の良さが特徴。機体の空気取り入れ口には、FOD(Forein Object Damage=異物による損傷)を防ぐ為にネットが設置されています。

ボディアップ

機体は胴体や翼のパーツごとに分割でき、コンパクトなコンテナに収納することができます。

コンテナ

さて、ここで「飛行機を自分で作って飛ばす」という行為について、少しお話しましょう。航空機というものは、日曜大工や夏休みの工作などと違ってむやみに壊れたり墜落したりしてはいけない為、空を飛ぶ為に十分な安全性(耐空性)を持っているかというのを審査する仕組みがあります。これは自動車などでもそうですが、人の命に関わる乗り物であるからこそ、安全性が重要視されている訳です。

会場の一隅にある本棚。ここには空や飛行機に関する様々な本が置いてあり、来場者は自由に手に取って読むことができます。その中に黒い背表紙の本とファイルが置いてあります。黒い背表紙が「耐空性審査要領」、ファイルがM-02Jの申請に関する資料を綴じたものです。筆者はこの棚を周りのものと対照的な「現実の棚」と呼んだのですが、八谷さんもその辺りを考慮して、これらの資料を置いたようです。耐空性審査要領は辞書のような分厚さですが、この中にびっしりと航空機が空を飛べるようにする為の検査項目や条件などが書かれています。

図書コーナー 棚のアップ

現在空を飛んでいる、我々が一般的に目にする航空機は、この耐空性審査要領に則って審査を受け、認定を受けているのですが、この耐空性審査は主に企業が製造し、不特定多数に販売される「量産機」を念頭に置いた審査項目。個人が自分だけの為に航空機を作り、飛ばす(これらの機体を「自作機」あるいは「ホームビルト機」といいます)には、あまりにも高いハードルです。設計段階、製造過程、完成後の機体において適合性を検査されるのですが、非常に煩雑で時間もかかり、金銭的負担も重くなります。そこで、航空法第11条第一項の「ただし書」を基準として飛ばすことが認められているのです。

航空法第11条
航空機は、有効な耐空証明を受けているものでなければ、航空の用に供してはならない。但し、試験飛行等を行うため国土交通大臣の許可を受けた場合は、その限りではない。
2 航空機は、その受けている耐空証明において指定された航空機の用途又は運用限界の範囲内でなければ、航空の用に供してはならない。
3 第一項ただし書の規定は、前項の場合に準用する。

もともと、耐空証明を受ける際、飛んでみないと判らない部分を検査する為に「試験飛行」を行う訳ですが、これを利用して自作機は試験飛行名目で飛行が許可されているのです。……もちろん、飛行以前に十分な機体の安全性が確保されていることが試験飛行の条件となっています。

この考え方は1976(昭和51)年に、当時の運輸省から出された「空乗第155号」の別紙「ホームビルト機の飛行許可に関する考え方(全5項目)」の末尾に書かれた文章にも表れています。

5. 一般
 我が国の場合、ホームビルト機が他人の人命、財産に損害を与える可能性がない場所を自由に飛行することは非常に困難である。しかし、このことを理由にすべてのホームビルト機に対して一般の航空機と同等の安全性を要求することは全くホームビルト機を否定してしまう結果になる。したがってこれらの点を考慮し、個々に条件を付して許可されるべきである。

日本の場合、欧米と較べてエアラインやミリタリー以外の民間人による航空、いわゆる「ゼネラルアビエーション(General Aviation)」の裾野が広くない為に、なかなか一般の人が航空レジャーやスカイスポーツに親しむ機会がありません。向こうでは飛行機の組み立てキットであるキット機(大戦中のドイツ戦闘機、フォッケウルフFw190の原寸大レプリカキットもある)をコツコツ組み立て、空を飛ぶなんて趣味があったりします。日本ではそういった文化が希薄で縁遠い部分がありますが、お役所としては完全に自作機を否定している訳ではないことが判ります。

この他に、自作機が空を飛ぶ為に関係してくる法律は、航空法第28条(航空機の操縦資格について定めたもの)の第三項、同じく第79条(航空機の発着場所について定めたもの)のただし書、そして実際の試験飛行に関しては、2002(平成14)年3月に出された「航空機検査業務サーキュラー No.1-006」(国空機第1357号)が基準となります。

このサーキュラーに基づき、M-02Jに対し付与された識別記号は「JX0122」。機体には定められた方法(記載場所、文字の大きさと間隔、線の太さ)で識別記号が記されています。

識別記号

試験飛行を申請する前には、エンジンの試運転と地上滑走試験を一定時間行う必要があります。会場にはエンジンの試運転に使われたテストベッドも展示してあります。乗っているのは初代のエンジンであるフランス・JPX製のT340(推力30kgf)。滑走試験中にトラブルが生じた為、現在は使用されていません。エンジンはレールの上に乗っており、動かすと推力によってレール上を移動し、繋がったバネばかりで推力が計測できる仕組み。サーキュラーには、予想される飛行姿勢の状態にして支障なく運転できることを確認するよう書かれているので、取り付けてあるハンドルによって様々な姿勢がとれるようになっています。

エンジンテストベッド

地上滑走試験は合計1時間以上実施することが求められます。このうち高速滑走を8回以上、そして前輪もしくは尾輪のみを地上から浮かした状態(離陸寸前の姿勢)での滑走を30分以上含めなければなりません。この際、低速時にふらついて翼端が接地する事態が発生した(このM-02JやSVTOL機ハリアーなど、自転車のように車輪が前後一列に並ぶ「タンデム式」降着装置では発生しやすい……自転車をゆっくりこぐのを想像してください)ので、翼にアウトリガー(姿勢安定用の補助輪)が追加されました。

降着装置

また、このサーキュラーに基づき、機体には様々な計器や装備があります。速度計・高度計やエンジンモニタ、パラシュートや消火器、操縦者を固定するハーネス(安全ベルト)など。アニメやまんがでは身ひとつでヒラリと乗れますが、現実の「航空機」ではちゃんとした安全装備が必要です。

装備品

十分な試運転・滑走試験を行った後に、はじめて試験飛行を申請することができます。試験飛行は2段階に分かれ、それぞれに申請と許可が必要です。

第1段階:わずかに空中に浮き上がる、高度3mまでの「ジャンプ飛行
第2段階:人家や物件などの上空、飛行場の管制圏を除く、発着場所周辺の「場周飛行

第2段階の飛行を申請するには、最低でも20回以上の「ジャンプ飛行」が必要です。申請は第1段階のジャンプ飛行の場合、飛行の1ヶ月前までに行う必要がありますが、すぐに許可が出る訳ではありません。八谷さんも他の方が製作した80%スケールの零戦レプリカ(濱尾式080型・JX0110)の飛行許可が難航している話を聞き、ある程度覚悟していたそうですが、やはり申請から飛行許可が出るまでの4ヶ月ほどはやきもきしたそうです。

そしてこの展覧会が始まった2013年7月に試験飛行許可が出て、千葉県の野田市スポーツ公園場外離着陸場において、M-02Jは初めてのジャンプ飛行に成功しました。現在まで8回のジャンプ飛行を実施しています。展覧会の主要展示物でもあるので、M-02Jの飛行試験は原則休場日で、気象条件に加え八谷さんや協力者のスケジュールが合う時に限られており、まだまだ十分な試験を行えないようです。おそらく会期終了後、ペースが上がっていくことでしょう。

▼動画
『OpenSky3.0予告編』http://www.youtube.com/watch?v=KC6oYYSxqio
ニコニコ動画版 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21488758

飛行機の解説については、会場に展示されたあさりよしとおさん作の『まんがサイエンス』特別編ともいえる書き下ろしまんが『無尾翼機のひみつ』が判りやすく、参考になると思います。ちなみに、先生役の無尾翼法典(むびよく・のりすけ)さんの姿は、ホルテンHo229がモデルのようです。

無尾翼機のひみつ

これと同時に、以前八谷さんが「日本のデザイン2010」展(会場:東京ミッドタウン・デザインハブ)に際して行った、ホンダジェットと三菱MRJの開発主任にインタビューした記事も展示されており、飛行機開発の実際(様々な苦労やこぼれ話など)を垣間見ることができます。なかなか表に出ない話なので、来場者も興味津々の様子。

HondaJetとMRJ開発主任記事に見入る人

M-02Jは法律など様々な制約がある為、八谷さんしか乗ることはできませんが、会場にはシミュレータが設置され、本体保護の為に設定された体重などの条件をクリアできれば「M-02Jを操縦する感覚」を体験することができます。操縦桿がなく、ハンググライダーのように体重移動で操縦する為、独特な感じで自在に操るにはコツが必要。子供達に大人気です。また、質問コーナーがあり、来場者が質問をホワイトボードに書いておけば、八谷さん本人が直接回答を書いてくれます。

シミュレータ 質問コーナーで回答を書く八谷さん

八谷さんの夢として、このM-02Jをアメリカ・ウィスコンシン州オシュコシュで毎年開かれているエアショウ「EAA AirVenture Oshkosh」に出展することがあります。自作機の祭典として半世紀以上の歴史を持つこのイベントで、ホンダジェットが初めてお披露目された時の感動的なエピソードを「日本のデザイン2010展」インタビューの際に開発主任の藤野道格さんから聞き、心の中に「いつかはオシュコシュ」という夢が芽生えたといいます。これと同時に、次回(2015年)のパリエアショウ(Le Salon du Bourget)とパリ・ジャパンエキスポへの出展もできたら……と思っているとか。現地への機体輸送費用がネックとなっているそうですが、資金面がクリアされ、フライトラインに並ぶ姿を見てみたいですね。海外の人がどのような感想を口にするか楽しみです。

さらに、この「OpenSky 3.0」の併催イベントとして「すすめ! なつのロケット団」が開催されています。あさりよしとおさんのまんが『なつのロケット』をきっかけに、様々な人々が集まって結成された民間による宇宙開発を目指す謎の秘密結社「なつのロケット団」による、これまでの軌跡と将来像を展示するもの。

ロケット団会場

なつのロケット団では、液体燃料ロケットによる衛星打ち上げを目指して、エンジンを開発してロケット打ち上げ試験を行っています。液体燃料ロケットを選択したのは、固体燃料では大型化すると民間で扱いにくい(燃料が爆発物取締罰則に抵触する他、ミサイルに転用すると思われて治安上の疑いがかけられる)為。現在は入手しやすいエタノールと液体酸素を使用しています。技術者を含めたメンバーにより、できる限り手作りで進められた試行錯誤の記録が、実物資料を用いて紹介されているのでこれも貴重です。8月10日に打ち上げられ、最大高度6553.6m、最大速度マッハ1.16を記録した最新ロケット「すずかぜ」の実機も展示に加わりました。

ロケットの展示 すずかぜ

「OpenSky」も「なつのロケット団」も、一般的に無理だと思っていたことに対して「そんなことないよ。できるんだよ」と語りかけてくれる展示です。飛行機もロケットも「できない」のではなく「していない」。願わくばこれらの展示を見て、空や宇宙に興味を持っている人達(特に若者や子供)が「自分達もやってみよう」と実際に製作を始めてくれればいいな、と思います。もちろん、法律を守り、安全を確保しながら。

展示を見る子供

9月12日には、八谷さん自身によってこの「OpenSky」プロジェクトの歩みをまとめた書籍『ナウシカの飛行具、作ってみた 発想・製作・離陸—-メーヴェが飛ぶまでの10年間』(猪谷千香さん・あさりよしとおさんとの共著)が幻冬社から発売されます。会場では9月14日に出版記念イベント、15日には八谷さんと倉田光五郎さん(巨大人型四脚ロボット「KURATAS」を製作したアーティスト)、樋口真嗣さん(映画監督)、寺田克也さん(イラストレーター)によるトークショー『特撮ナイト(仮)』が展覧会のクロージングイベントとして予定されています。

会期は9月16日まで。日にちが残り少なくなっていますが、ぜひ会場に脚を運んでみてください。夢と現実が案外近いところにあることに気付けますよ。

「OpenSky 3.0」
9月16日まで(火曜日休場)
会場:3331 Arts Chiyodaメインギャラリー
東京都千代田区外神田6丁目11-14
八谷和彦 個展「OpenSky 3.0 ―欲しかった飛行機、作ってみた―」公式サイト http://hachiya.3331.jp

(文・写真:咲村珠樹)

「茨城空港ガルパン応援計画」やってます!

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茨城空港で現在「茨城空港ガルパン応援計画」が開催中です。ちょっと様子を見てきましたよ。

茨城空港は、航空自衛隊百里基地の民間共用化により、2010年3月11日に開港した空港。北関東唯一の空港でもあります。LCC(格安航空会社)に特化した作りで知られていて、2011年には「ローコストエアポート・オブ・ザ・イヤー」にも輝いています。

【関連:大洗に戦車がやってきた!「海楽フェスタ」ガールズ&パンツァーリポート!】

茨城空港ターミナルビル


ターミナルの中に入ると、天井から吊り下げられた大きなバナーがお出迎え。……え!? まさかの1年生(ウサギさん)チーム推し!?

正面吹き抜けの光景

……というのも、1年生チームの山郷あゆみが、茨城空港のある小美玉市出身の設定だから。主人公達あんこうチーム主体の他コラボからすると異色ですが、理由を聞けば納得です。

ターミナル1階には、段ボール製のIV号戦車D型も。なぜ1年生チームのM3じゃないんだ、という声もあるでしょうが、やっぱり主役だからでしょうね。製作した方はちゃんと自動車部のオレンジ色のツナギを来て作業してましたよ。

段ボール製IV号戦車

この戦車のある場所は、もともとアシアナ航空のカウンター。アシアナ航空は東日本大震災以来休航中で、無人のカウンターが寂しい感じでしたから、こうして華やかになったのはよいことですね。通りがかった人も興味深そうにしてます。

インフォメーション横には、このガルパン応援計画についての説明が。茨城空港は、乗り入れているのが2社4路線と小さな空港で、利用者が増えて欲しいと頑張っています。ガルパンが茨城に勇気を与えてくれたこと、そして1年生チームの山郷あゆみが小美玉出身であること、最初は試合中に逃げ出してしまっていた1年生チームが次第に成長し、決勝ではエレファントを撃破するなど頑張っていた姿を見て、自分達も負けないように魅力を発信していく……などなど。

説明を見る旅行客

熱いメッセージに、旅行客も脚を止めて説明に見入っています。茨城空港も開港1周年の記念日に東日本大震災が襲い、天井が崩落する被害を受けているので、ガルパンの活躍に勇気づけられたのも頷けます。

さて、この「ガルパン応援計画」のメインは、空港ターミナルを巡るスタンプラリー。参加するには「IBRマイエアポートクラブ」に登録することが条件。とはいえ、空港ホームページやキャンペーンチラシに記載されたQRコードからメールアドレス等を登録するだけでOKなので、手続きは簡単。奥の受付で台紙を受け取ります。交通の便が良いとはいえない茨城空港ですが、初日・2日目には、朝一番から数十人のファンが並んだとか。

スタンプラリー受付

台紙は大洗女子学園の生徒手帳を模したデザインで、航空時刻表も兼ねたもの。スタンプを捺す場所は戦車の照準器(ドイツ仕様)みたいになってます。もちろんスタンプは、1年生チームの6人。こちらにも空港からのガルパン愛のこもったメッセージが。「戦車道」の説明も適確にされていて、ガルパンは「爽やかな青春スポーツ物と言っていい」という表現まで。ちゃんと作品を理解しているのが判ります。

スタンプ台紙表1 スタンプ台紙表4
スタンプ 空港からのメッセージ

これを持って、空港ターミナルビル各所に設置されたスタンプを捺していく仕組み。小さなターミナルなのでサクサク進みます。スタンプ設置場所はキャラの等身大パネルが目印ですが、場所とキャラは色々考えられてますね……特に丸山ちゃんの場所は「らしい」場所です。

山郷あゆみ 大野あや 宇津木優季
丸山紗希 阪口桂利奈 澤梓

吹き抜けの2階からは、バナーと戦車も見えます。

吹き抜け2階から

スタンプが揃ったら、特製の缶バッジ(1年生チーム6人分)がもらえます。スタンプラリーはひとりあたり「1日1回のみ」なので、6日通えばバッジもコンプできることに。……このバッジを選ぶ際の見本紙にも、ちゃんと各キャラの出身地が書いてあるんですよ。愛と理解の深さがうかがえます。

景品の缶バッジ

また、ここから「聖地」大洗へ行く方法もガイドされてますよ。本数の多い水戸行きのバスに乗り、水戸駅から大洗鹿島線で大洗に向かうルート。午後に1本だけ、大洗鹿島線の新鉾田駅に向かうバスもありますが、こちらは着くのが夕方になるので、日帰りでは実用的とはいえませんね。

大洗行きの案内

茨城空港はスタンプラリーだけで帰るのはもったいないところ。ターミナルビル横にある公園には、引退したF-4EJ改とRF-4EJが展示されていて、旅客機だけでなく百里基地を発着する自衛隊機を見ることができます。展示されているRF-4EJは、F-4EJから最初に改造された機体。

F-4EJ改とRF-4EJの用廃機 民航機とRF-4E

9月12日まではブルーインパルスが松島基地から移動訓練に来てましたが、これから9月下旬から10月上旬にかけて、航空自衛隊の戦闘機部隊が全国から集結する「戦技競技会(戦競)」が開催予定(F-4部門:9月24日~9月28日・F-15部門:9月27日~10月5日)。北は千歳、南は那覇までの部隊に所属するF-4EJ改とF-15を一気に見られるチャンスです。「戦競塗装」といわれるスペシャルマーキングがされるので要注目。

戦競塗装のF-15J 戦競塗装のF-4EJ改

また、茨城空港との路線が設定されている神戸空港と新千歳空港を出発地とした「ガールズ&パンツァー 大洗聖地巡礼ツアー」(1泊2日・出発日9月28日限定)も募集中。

茨城空港のガルパン応援計画は10月31日まで。スタンプラリー台紙と缶バッジは数に限りがあるので、なるべく早めにどうぞ。

茨城空港ガルパン応援計画 スタンプラリー
9時~18時(受付は17時30分終了。13時~14時は台紙配布・景品交換休止)

茨城空港ホームページ
http://www.ibaraki-airport.net/

日本旅行水戸支店「茨城空港ガルパン応援計画 ガールズ&パンツァー 大洗聖地巡礼ツアー」
https://v3.apollon.nta.co.jp/galpan2

(取材:咲村珠樹)

【宙にあこがれて】第37回 雨の百里航空祭

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こんにちは、咲村珠樹です。9月8日、航空自衛隊百里基地で第29回航空祭が開催されました。今回はその模様をお届けします。

【関連:第35回 脚なんて飾りです!?】

ベイパーを発生させて飛ぶRF-4E


ドラマ『空飛ぶ広報室』の人気で見学者が激増している百里基地。来場者の大幅な増加が見込まれていましたが、当日は朝から雲が低くたれ込める天候。雨も予想されており、予定されていた展示飛行はほとんどキャンセルされてしまいました。朝に天候偵察で飛んだパイロットによれば、すぐに雲に入ってしまい、何も見えなかったそうですからやむを得ませんね。これにより来場者は7万5000人にとどまり、10万人規模の来場を予想していた基地側としてはやや少なめとなった感じ。ただ、バスツアーの来場者は前年より増加して、駐車場所の確保は大変だったようです。

基地側でもドラマ人気から、ロケ地を紹介したいわゆる「聖地マップ」を展示し、基地内で聖地巡礼ができるようになっていましたね。また、主人公が過去に所属していた設定の第305飛行隊では、撮影に使われていたヘルメット等も展示。

空飛ぶ広報室ロケ地マップ ドラマの聖地巡礼
ドラマで使用されたヘルメット等

展示飛行が実現したのは、低い高度で実施する百里救難隊のヘリコプターによる救助実演のみ。固定翼機は全て滑走路での地上滑走(ハイスピードタクシー)という、いささか寂しいものとなりました。バスツアーで初めて来場した人達からは、滑走路を共用する茨城空港を発着する旅客機は飛ぶのに、何故自衛隊は飛ばないのか……という声も聞かれましたが、計器による情報を頼りに決められた航路を飛ぶ旅客機と違い、戦闘機による展示飛行はより低空を自分の視界を頼りにして飛ぶ為に、より条件が厳しくなるのはやむを得ないところ。もちろん、スクランブルなどでは天候に関係なく飛ぶ訳ですが……。

前日の特別公開の時点でも、飛行中に盛大なベイパー(瞬間的に発生する一種の飛行機雲)ができていたので、非常に湿度の高い状態ではありました。午後から天候が悪化していたので、航空祭当日の雨も当然といえます。

時折雨のぱらつく中、地上滑走に向かうパイロットは観客に手を振ります。RF-4Eに乗った第501飛行隊のパイロットは、バイザーハウジングのない新型ヘルメットと酸素マスクを装備。米軍のHGU-55/Pに準じた姿です。

観客に手を振るF-4EJ改のパイロット 観客に手を振るF-15DJのパイロット
観客に手を振るRF-4Eのパイロット

地上滑走は、ちょっと加速したと思ったらすぐエンジン出力を絞ってしまうので、会場の真ん中辺りに陣取っていた人にとっては、エンジン音も堪能できない状態だったかも知れませんね。F-15DJは機首上げ姿勢まで披露してくれました。F-4EJ改はAN/ALQ-131電子戦(ECM)ポッドを装着した機体が地上滑走を披露。

2010年の航空祭以来となるブルーインパルスも、ウォークダウンと地上滑走のみ。時折晴れ間も見えた前日の特別公開でも、雲が低かった為アクロバット飛行はできずに編隊航過飛行でした。飛行隊長の田中1佐も「航空祭当日も、せめて飛べる天候であってくれれば」と語っていたのですが、残念な結果に。しかしその分、雨中にも関わらず、傘もささずに「みんな雨大丈夫かい? おれは平気だけど」と、遅くまでファンにサインをしていたのが印象的でした。ちなみに今年のツアーパッチは、震災を経てホームである松島に帰還したことを示すように、松島から飛び立つ6機のT-4と、6つの桜の花で作られたレイをかけたイルカ(T-4の愛称「ドルフィン」にちなむ)がデザインされています。

ブルーインパルスのウォークダウン ブルーインパルス2013年ツアーパッチ

そんな雨の中、茨城県立水戸商業高校のチアリーディング部「Blue Twinkle’s」は、元気にチアを披露。ずぶ濡れになりながらも、笑顔を絶やさない演技でした。

水戸商業高チア部

地上展示機で目立ったのが、海上自衛隊下総航空基地から飛来した、第203教育航空隊のP-3C。「第29回百里基地航空祭」にちなんで、わざわざ29号機(5029)を選んでカッティングシートでスペシャルマーキングを実施していました。9月28日には、下総航空基地で開設54周年記念行事が開催されます。第203教育航空隊には54号機(5054)もいるので、ひょっとしたら同じようなマーキングが見られるかもしれませんね。また、陸上自衛隊木更津駐屯地から飛来した、第4対戦車ヘリコプター隊のAH-1Sに乗ってきたパイロットは、5月の木更津駐屯地航空祭(第33回「対戦車道、やってます!~第41回・木更津航空祭~」参照)で「対戦車道講座」の講師役を務めていた男性でした。

下総・第203教育航空隊のP-3C29号機 木更津第4対戦車ヘリコプター隊のAH-1S

雨ということもあって、来場者は屋根のある格納庫内展示に集中。今年は格納庫のひとつが改修工事の為に半分しか使えない状態だったので、余計に人でごった返しました。例年でも人気の戦闘機コクピット公開は、左右から見られるようにしていても最大で3時間近い待ち時間に。

F-15Jコクピット公開 F-4EJ改コクピット公開

展示飛行ができなかった分、パイロット達も機転を利かせてフル装備状態で登場し、あちこちで記念撮影に応じていました。

記念撮影に応じる305飛行隊長とパイロット

パイロット達の右肩には、間もなく始まる戦技競技会(戦競)に向けたスペシャルパッチが。今年はF-4部門とF-15部門が、ここ百里で開催される(F-2部門は三沢)ので、ホストスコードロンとして気合いが入っているようでした。第302飛行隊は風林火山、第305飛行隊は伝統の宮本武蔵に闘犬と、どちらも和のテイストで臨んでいます。

302飛行隊の戦競パッチ 305飛行隊の戦競パッチ

天候に恵まれなかった今回の百里。翌週の三沢も台風の影響で展示飛行のほとんどがキャンセルされるなど、天候はコントロールできないだけに残念です。百里基地は来年、三年に一度の航空観閲式が開催される為、航空祭はお休みです。2015年に期待しましょう。

(文・写真:咲村珠樹)

【宙にあこがれて】第38回 JAXAはじまった!? アニメで話題の「DPR」ってなんだ?

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今、ネットで「JAXAはじまった!」と話題を集めてる動画があります。それはJAXAが公開した、ある人工衛星を紹介したアニメ。今年度(2014年1月以降)にH-IIAロケットによって、種子島から打ち上げられる予定です。

【関連:第14回 JAXA筑波宇宙センター特別公開レポート】


[JAXA公式] DPRスペシャルムービー | Anime for JAXA & NASA Space Mission
http://www.youtube.com/watch?v=VGUddLHDVts
(提供:宇宙航空研究開発機構(JAXA))

 
JAXAの宇衛座はるかとNASAのソフィア・シグレーというふたりの女性の交流を通じてJAXAとNASAの共同開発を紹介し、併せて衛星のミッションと搭載されるDPRを紹介するストーリー。個人的には、JAXA筑波宇宙センターがあるつくば市の隣町である土浦市の繁華街(モデルは土浦駅前の「桜小路」?)で酔っぱらって肩を組むはるかとソフィアのシーンと、旧友の結婚式に出席する為、はるかが自転車で爆走するシーンが印象的です。制作を担当したのは『STEINS;GATE』や『ヨルムンガンド』シリーズ、『はたらく魔王さま!』で知られるWHITE FOX。

このアニメで紹介されている「DPR」とは、アメリカ航空宇宙局(NASA)と共同で開発している「GPM主衛星」に搭載される、メインの観測機器の名前。正式には「二周波降水レーダ(Dual-frequency Precipitation Radar)」といいます。

まず、GPM主衛星が行うミッションである「GPM計画」からご説明しましょう。これは「全球降水観測(Global Precipitation Measurement)計画」といい、地球全体の降水状況について観測するという大規模なプロジェクト。

水は地球を地球たらしめていると言っていいほど、地球という惑星の環境を特徴づけている重要な物質です。この水の循環は我々人類の生活を左右する重要な要素のひとつ。干ばつや洪水などといった水の問題だけでなく、これからは地球温暖化など気候の変化により、異常気象が増えることも予想されています。このような問題に対して、まずは我々の生活に重要な真水(淡水)の供給源である降水の状況を精確に把握することが必要です。

これまでにJAXAはNASAと共同で、地球全体の降雨量の3分の2を占める亜熱帯・熱帯地域での降水状況を観測する「熱帯降雨観測衛星(Tropical Rainfall Measuring Mission=TRMM)」で、1997年から実績を積み上げてきました。この実績を基に、より精度の高い観測機器を積んだ衛星を使って観測範囲を地球全体に広げよう……というのがGPM計画という訳です。

TRMM(トリム)では1機の観測衛星でしたが、GPM計画では複数の衛星(現在参加が予定されているのは9機)の観測機器を使って宇宙から降水状況を観測し、更に地上での気象観測データを併せて3時間ごとに地球全体における降水の様子を把握します。人工衛星はJAXAとNASAだけではなく、欧州宇宙機関(ESA)やフランス、インドなどが参加。2012年5月に打ち上げられた第一期水循環変動観測衛星「しずく(GCOM-W1)」も観測の一翼を担います。このGPM計画の中心となるのが、JAXAとNASAが共同開発するGPM主衛星であり、計画に参加する様々な衛星の観測データを分析する際、基準となるデータを取得する重要な観測機器が、JAXAが情報通信研究機構と共同で開発したDPRなのです。

DPRは「二周波降水レーダ」の名が示す通り、ふたつの異なった周波数で降水状況を観測します。ひとつはTRMMでも使用していた強い雨を見るのに適した13.6GHz(Kuバンド)の降水レーダ(KuPR)、もうひとつは弱い雨や雪を見るのに適した35.5GHz(Kaバンド)の降水レーダ(KaPR)。「ケーユー・ピーアール」「ケーエー・ピーアール」と読むのですが、つい「くぱぁ」「かぱぁ」と読んでしまうのは、筆者の煩悩のせいかもしれません。

降水レーダの反応(レーダーエコー)を示す電波強度は、レーダ波を反射する降雨自体によって減衰します。これはレーダが使用する周波数と、その波長に合致した雨粒の大きさによるので、複数の周波数を同時に使うことによって互いのエコー強度の減衰をカバーしあい、精度の高い観測が可能になるという訳です。

日本はこのような降水に関するリモートセンシング技術は世界一。同じく世界に誇れるコンテンツであるアニメを使ってプロジェクトを紹介するのは、実にマッチした方法だと思います。アニメ制作はあくまで広報活動の一環であり、訴求力の高い手法を模索した結果だそうですが、10月17日にYouTubeで公開して以来、わずか4日で再生数が3万回を突破するなど、大成功と言えるでしょう。

GPM主衛星の打ち上げシーンで映るロケットが、長くて細いSRB(固体ロケットブースタ)から判る通り、H-IIAではなくH-IIなので、ディープな宇宙ファンからは「間違ってる!」とツッコミが来そうですが、これはTRMMの打ち上げ映像(1997年11月28日、H-IIロケット6号機で打ち上げ)を作画の参考資料にした為のようです。

10月19日に行われた「宇宙の日」記念の筑波宇宙センター特別公開でも、GPM主衛星の紹介コーナーでこのアニメを公開。大人気でした。また、アニメをモチーフにしたメタリックステッカーも。前年まではDPRの筆文字ロゴを使ったピンバッジがありましたが、このステッカーも人気でした。

筑波宇宙センター特別公開の様子

DPRスペシャルムービーのポスター GPM/DPRステッカー

ところで、このGPM計画のとりまとめをしているNASAのゴダード宇宙飛行センターですが、こちらではこんなエンターテインメント性の高い動画をYouTubeに公開しており、お国柄が現れています。子供番組を思わせる手作り感あふれるミッション解説動画と、ブライアン・イライジャ・スミスさんの楽曲「Pour on Me」を使ったミュージック・クリップ調のイメージ動画。どちらも楽しく、完成度高いですね。

‪NASA | For Good Measure‬
http://www.youtube.com/watch?v=6orv6v4ZLjQ

‪NASA | WATER FALLS Trailer‬
http://www.youtube.com/watch?v=3uC-4M_PjzQ

(提供:NASA)

NASAでは2013年2月から4月にかけて、GPMのマスコットキャラを募集する「GPMアニメチャレンジ」を開催しており、グランプリには宇宙機ファン(擬人化)で知られる日本のまんが家、霧賀ユキさんの作品「GPM」が輝いています(コロラド州ハドソンに住むアニメファンの14歳、サブリン・バックホルツさんの「みずちゃん(Mizu-chan)」と同時受賞)。ある意味、もっとも日本のアニメやまんがに縁の深いミッションがこのGPM計画だと言えるでしょう。

GPM計画で取得されたデータは関係各機関に提供され、身近なところでは天気予報の精度向上や、災害対策策定の為の基礎データなどに利用される予定です。

JAXA GPM/DPRスペシャルサイト
http://www.satnavi.jaxa.jp/gpmdpr_special

NASA・ゴダード宇宙飛行センター GPMスペシャルサイト
http://pmm.nasa.gov/GPM

NASA 「GPMアニメチャレンジ」結果発表ページ
http://pmm.nasa.gov/education/anime-winners

(文・写真:咲村珠樹)

海上自衛隊「砕氷艦しらせ」にのってきたよ!~航海科の優れた腕を見た体験航海

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南極観測支援に使われる海上自衛隊の砕氷艦しらせ(AGB-5003)。ご縁があって、その体験航海に行けたのでご報告しますよ。……いや、スゴかった……。

しらせに乗る為、やって来たのは横須賀。朝からあいにくの天候で、艦これでおなじみ、長門や赤城がかつて入渠した旧横須賀海軍工廠第五船渠(5号ドック)も雨にけぶっております。風も強くてカメラがびしょぬれになるので、乗艦前に写真を撮ることはできず。

【関連:護衛艦を「守って」いるのは?】

旧横須賀海軍工廠第五船渠


さて今回の体験航海は、間もなく出発する第55次南極地域観測隊と、しらせ乗員の関係者を中心にしたもの。これから長く離ればなれになる家族と思い出を作ってもらい、また残される家族にとってはどんな船で南極に向かうのかを体験する機会となっているようですね。JR横須賀駅には、乗艦する関係者を出迎える、第55次南極地域観測隊・宮岡宏隊長の姿もありました。今回の観測隊は総勢63名(越冬隊24名・夏隊39名)。

第55次南極地域観測隊旗

越冬隊のメンバーは研究者だけでなく、施設や装備を管理する住宅会社や電機会社、自動車会社の社員の他、沖縄・浦添市の消防士さんや庶務を担当する茨城・つくば市役所の職員さんも。トラブルがあってもすぐ日本から対処に行けない南極では、できる限り自分達で対処する「自己完結型」の組織にしておかないといけないんですね。ちなみに今回の「南極料理人」は、「野人料理」で知られる居酒屋「風神亭」三鷹店(三鷹風神亭~風童子~)の方だそうですよ。

普段なら外の甲板にも人が行くんですが、今日は風雨が強くて全員艦内に避難してるので、椅子のある食堂なんかはごった返してます。テレビでは、しらせと南極観測を紹介するビデオを上映中。青と黒のジャンパーを着ているのは、南極地域観測隊の方です。

人でごった返す食堂

この食堂のテーブルには、ちょっとしたカラクリが。縁の部分がせり上がるんですね。海が荒れて艦が傾いても、テーブルの上から物が落ちないようにする工夫だとか。

縁がせり上がるテーブル

午前10時。「出港用意」のラッパを合図に、雨の中カッパを着た隊員さん達が放たれたもやい綱を巻き上げていきます。巻き上げられたら、事故を防ぐ為に決められた場所に決められた形で整然とまとめます。船の上では、ロープは踏まない・跨がないのが鉄則で、何かのきっかけでロープにテンションがかかり、跳ね上げられたりする危険があるからだとか。

▼動画:砕氷艦しらせ出港 http://www.nicovideo.jp/watch/1383619643

イージスシステムを搭載したミサイル護衛艦きりしま(DDG-174)の見送りを受けて、横須賀の岸壁を離れるしらせ。これから晴海埠頭まで、3時間半の航海です。

きりしまに見送られるしらせ

艦内は南極観測隊員など、一般の人が乗るせいか護衛艦などに較べると廊下が広々。階段も広くゆるやかで、民間船のよう。また、極地仕様で外との出入りは全て二重扉になってましたよ。また、普通のドアなんで気付きにくいのですが、エレベータもあります。人間というより、物資搬送用って感じですね。

広々した廊下 エレベータ

南極へ運ぶ物資を積み込む倉庫にも人がいっぱい。雨で冷えるので毛布が重宝されてました。

倉庫内部

周りを見回してみると、スノーモービルに物資運搬用のソリが。これも他の自衛艦にない、しらせならではの装備ですよねー。

スノーモービル 物資運搬用のソリ

この倉庫では、体験航海では定番のラッパ実演と制服ファッションショーが開催されました。しらせならではと言えるのが、オレンジ色の耐寒耐水服と南極での作業着。どちらも雪や海氷のある場所でも目立つようにオレンジ色になっている訳です。耐寒耐水服は、流氷観測を行う八戸航空基地の第2航空隊の哨戒機P-3Cの乗員も救命装備として保有しています。保温性が高く、通常の環境で着ているとたちまち汗だくになってました。

制服ファッションショー

さて、艦橋で外の様子を見てみると……何も見えません。予定では東京湾の景色を見ながら航海するはずだったのですが、雨が激しくて視界が完全に遮られてます。

艦橋から艦首を望む

外はといえば、もはや風が強過ぎて危険な為に甲板は立ち入り禁止。監視の為に外へ出た乗組員の方も吹き飛ばされそうです。……艦橋の計器を見ると、艦の速度を含めた合成風速は40ノットを超える値。一般的な風速表示に当てはめると20mを軽く超えてますから、台風並みの暴風雨になってるんですね。一般の乗艦者が吹き飛ばされて海に転落する恐れがあるんで、立ち入り禁止にも納得。

外は暴風雨状態 航行データと浅間大社のお札

艦内の神棚だけでなく、艦長席の目の前には、しらせの守り神である富士山本宮浅間大社のお札もあり、航行安全を祈願しています。これは毎年夏に艦長らが揃って参拝し、新しいものを頂いてくるのだとか。先任伍長さんは毎年、富士山頂にある奥宮にも参拝しているそうですよ。

視界が利かない状態で、日本有数の海上交通量がある東京湾を進むのは大変です。操艦を担当する航海科の皆さんは、レーダーやGPSの情報を活用して艦を進めていきます。小さな釣り船やプレジャーボートなどは、雨で電波が減衰する為にレーダーに映らないことがあるので、もちろん肉眼での監視も怠りません。特にしらせはオレンジ色で目立つ上、珍しい船なのでプレジャーボートなどがよく見ようと近づいてくることが多いとか。

操艦する艦橋乗組員 GPSを確認する艦長ら

後方の海図卓では、航行した軌跡を海図の上に書き込み、ポイントでの通過時間も記入していきます。慎重な航行の為か、途中の時点で2分ほどの遅れが出ていました。艦橋のすぐ後ろにある海洋気象室では、海洋気象員長さんが気象情報を分析中。かぶっている帽子の後ろには、今まで参加した南極観測のピンズがずらり。

海図に航跡を記入する 気象データを見る海洋気象員長

外は風雨で寒いので、何か温かい飲み物が欲しくなってきました。食堂の横に自動販売機を発見。おしるこがあるので、これであったまろうかと……あれ?

自動販売機 おしるこまでもつめた〜い

なんと全て「つめた~い」になってる! ……南極に行くといっても途中までは暑い赤道に向かう訳で、さらに南半球はこれから夏。本格的に寒くなるのは、寄港地であるオーストラリアを出港してからなので、こんな温度設定になっているようです。自動販売機自体は業者からリースしているものの、中の商品については乗組員の意見を参考に、自衛隊で一括して仕入れたものが入っているとか。自衛隊が儲けちゃいけないので、販売価格は仕入れ値に自動販売機のリース代など最小限の上乗せをしたものなので安くなってるんですね。ちなみにこの自動販売機の売り上げは艦内でプールしておき、ある程度貯まったところで艦内の備品など共用品を購入しているそうですよ。

東京が近づいてきました。東京湾横断道路の海ほたるPAや、羽田空港が薄ぼんやりと見えてます。海底トンネル側の正面から見ると、海ほたるはまるでモン・サン・ミッシェルみたいにも見えますね。

海ほたるPA 羽田空港

東京港に入港し、レインボーブリッジをくぐります。レインボーブリッジは桁下高50m。しらせの最大高(マストまでの高さ)は45m。下から見上げると、ほんとにギリギリな感じで通過します。

レインボーブリッジ レインボーブリッジをくぐる
橋桁からマストまでは5m

途中の遅れを見事に回復して、予定通り午後1時30分ピッタリに晴海埠頭に接岸。景色は見られなかったけど、航海科の優れた腕を見た体験航海でした。

晴海埠頭に接岸したしらせ

しばしの休息を取り、しらせが物資を積み込み、南極に向けて出港するのは11月8日。昨年は海氷が厚過ぎて接岸できず、ヘリコプターだけで物資の6割を搬入したというしらせですが、今年は無事接岸でき、全ての物資を輸送できることを祈ります。ちょっと早いですが、Bon Voyage!!

■取材協力:防衛省 海上幕僚監部 広報室

(取材:咲村珠樹)

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